”年賀状”考

正月においしい蜜柑でも食べながら友人たちから届いた年賀状をいちまい一枚ゆっくりと見るのはいいものだ。何十年も会っていない友の顔を思い浮かべながら思い出の中にショート・トリップができる。

その年賀状が数枚、来年からは届かないことになりそうだ。私は、早生まれ3月の丑年。同級生の多くは子年で、一昨年、昨年に古希を迎えた。そして、古希をきっかけに年賀状を卒業したいという連絡がこのところ増えてきている。

千葉の友人からは、来年年賀状を卒業して今後はメールで近況報告を交換したいと言ってきた。奈良に住む友人からは、徐々に減らしていると連絡があった。北九州に住む友人はFACEBOOKで、一度は、卒業しようと考えたが、思い直したと言っている。

そういえば今までは11月末になると何も考えずに、パソコンでデザインを決め文章を考えるのが習慣になっている。そのたびに、受け取ったハガキを正月以来目にして相手のことを思い出すが、普段は、全体の95%の人のことは忘れている。

別に薄情というわけではなく大体そんなものだろう。ただ、現役を引退して数年たつと、今までほとんど思い出すこともなかった学生時代に思いを馳せることが多くなるのも事実だ。友からの久しぶりの便りには気持が温かくなる。

世間の慣習に従い、印刷屋に任せてただ機械的に送る人もいる。一方で、いちまい一枚思いを込めて丁寧に書いて送る人もいる。義理で仕方なく送るのも年賀状。描いたり書いたりすること自体が好きで送らずにはいられないのも年賀状。

たった63円で、これほど大きな情報を伝えられるものは他になく貴重な存在であることは間違いない。そう思うと止めづらい。かといって印刷屋やパソコンに任せて機械的に送ることに意味はあるのか疑問にも思う。

今の時代は、メールで簡単に連絡が取りあえるので、はがきは無駄と考えるのが合理的かもしれない。ただ、やっぱりハガキの方が温かみがありこれだけは続けたいという人もいるだろう。古い物を捨てられるかどうかの性格によるのか・・・。

止めようか、続けようか?さて、どうしようか?今でも迷っている。

(八咫烏)

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