文芸散策

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野口英世とアメリカ(10)

8.アメリカでの評価 英世の伝記には、アメリカでの生活はあまり詳しく書かれていない。彼に関する伝記が多く書かれた時代には、アメリカに調査に行くのが困難であったことが、その理由であろう。 私は、多くの日本人の例からして、ア […]

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野口英世とアメリカ(9)

7.メリーとの結婚 1911年4月10日、野口英世は、メリー・ダージスと結婚した。この経緯および、英世の妻メリーついては、『英世の妻』(飯沼信子著 新人物往来社)に詳しく記載されている。メリー・ダージスは、アイルランド移 […]

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野口英世とアメリカ(8)

6.  ロックフェラーと英世の出会いはなかったのか 英世はロックフェラー医学研究所において、看板研究者的な存在にまで上りつめていた。それだけの実績を生み出していたし、所長のフレクスナーからは、愛弟子と […]

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野口英世とアメリカ(7)

5.野口英世とジョン・ロックフェラー 英世は1903年秋、念願の欧州留学のチャンスを得る。行き先は、デンマークの首都コペンハーゲンにある血清研究所。尊敬と親しみを感じられる所長のマッセン博士の下で、仕事の期限に追われるこ […]

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野口英世とアメリカ(6)

4.ペンシルベニア大学にもぐりこむ 野口英世は「なんでもしますから、助手として雇ってください」と頼みこむが、フレクスナーは、「そんな約束はしていないし、自分1人で決めることはできない。申し訳ないが、日本に帰ってくれ」と言 […]

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野口英世とアメリカ(5)

3.フィラデルフィアへの道のり 野口英世は、1900(明治33)年12月5日、客船アメリカ丸で横浜港から日本を離れた。英世は、3等船客であったが、船内で、駐米日本大使館に赴任する小松緑書記官と親しくなり、1等船客と同等に […]

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野口英世とアメリカ(4)

清国での勤務でも、多額の給料は現地の歓楽街で使い果たし、貯えはできなかった。「このままでは無一文で、日本に帰ることになってしまう」と反省し、滞在期間を延ばしてもらうことにする。しかし浪費癖は直らず、かえって料亭への借金を […]

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野口英世とアメリカ(3)

2.渡米のための資金調達 北里研究所での将来に希望が見えない上、同僚の関係が上手く行かず、英世の研究所の中での居心地は悪くなる一方であった。彼が、持ち出しを許されていない貴重な図書を友人に無断で貸し出し、それが行方不明に […]

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野口英世とアメリカ(2)

1. 野口英世がアメリカに渡るきっかけ 1876(明治9)年猪苗代で生まれ、この地で尋常小学校、高等小学校を卒業した英世は、会津若松の会陽医院で医学の基礎を学び、上京。間もなく、医術開業前期試験合格。さらに、通常7年はか […]

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野口英世とアメリカ(1)

野口英世と言えば、彼が子供の頃、手に大やけどを負ったこと、アフリカへ黄熱病の研究に行き、自ら感染してしまい、亡くなったことなど、ほとんどの日本人が知る努力の人である。 2004年から千円札には、彼の肖像画が登用されている […]

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太宰治心中の謎(10)

9.終わりに 太宰治の墓は、三鷹の禅林寺にある。よく整備された寺である。森鴎外(林太郎)の墓と、太宰治の墓は、ななめに向き合う形で立っている。私がここを訪れた時、どちらの墓にも花が手向けられていたが、鴎外のものは、枯れか […]

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太宰治心中の謎(9)

8.太宰は本当に心中するつもりがあったのか? 過去の心中未遂事件と同様、三鷹での心中においても、「太宰は本気で死ぬ気がなく、山崎富栄による、無理心中であったのではなかったのか」という説が根強くある。この説の根拠は以下の通 […]

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太宰治心中の謎(8)

7.玉川上水心中時の太宰の女性関係 太宰は天下茶屋に滞在し、石原美知子と見合い・結婚した後、1939(昭和14)年1月、甲府市御崎町(現・朝日五丁目)に新居を構える。同年9月には、三鷹に転居。ここで、しばらく安定した生活 […]

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太宰治心中の謎(7)

6.玉川上水の調査 太宰治と山崎富栄は、1948(昭和23)年6月13日の深夜から、明け方の間に玉川上水に入水したと考えられている。太宰の部屋がきれいに整頓され、山崎富栄の部屋からは遺書が発見されたので、玉川上水での心中 […]

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太宰治心中の謎(6)

5.天下茶屋 「天下茶屋」は、太宰治が29歳の時、1938(昭和13)年9月13日から11月15日までの3ヶ月間滞在した場所である。甲府と河口湖を結ぶ、国道137号線の御坂峠の旧道トンネル河口湖側出口にある。ここからは、 […]

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太宰治心中の謎(5)

4.水上温泉 太宰は、パビナール中毒(麻薬性鎮痛剤)で、1936(昭和11)年10月に、東京江古田の武蔵野病院(精神病院)に強制入院させられる。もともとは、盲腸炎をこじらせ、腹膜炎を起こした際に、痛み止めとして使用された […]

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太宰治心中の謎(4)

3.七里ガ浜心中(未遂)事件の背景 (1)太宰治(本名:津島修治)の事情 太宰は、弘前高校時代から、青森の花柳界に出入りし、その時芸妓をしていた小山初代と知り合う。1930(昭和5)年弘前高校を卒業した太宰は、4月に東京 […]

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太宰治心中の謎(3)

2.七里ガ浜 太宰治が初めて心中を図ったのは、1930年11月28日夜のこと。銀座のバー「ホリウッド」の女給をしていた田部あつみ鎌倉においてである。『葉』、『道化の華』、『狂言の神』、『東京八景』、『人間失格』などには、 […]

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太宰治心中の謎(2)

それでは、太宰治心中の謎解きの旅を、読者の皆様と始めることにしよう。 1.斜陽館 現在「斜陽館」と呼ばれる太宰治の生家は、津島修治(太宰治の本名)の父である津島源右衛門が建設したもの。明治40年、工事費約4万円をかけて造 […]

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新カテゴリー「文芸散策」設置のお知らせ

暦もやっと9月に移り、わずかながら秋の気配が感じられるようになりました。芸術の秋ということで、ハイムのひろば美術館が無事スタートしました。ハイム在住の芸術家たちの見事な作品群をお楽しみ頂ければ幸甚です。 さて、この度、つ […]

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