風戸俊城
英国探訪8 エリザベス1世について(その3)
エリザベス1世について映画に沿ってお話をしてきましたが、今回がその最後になります。 大団円に向けて映画の展開がどうなったかを書いていきます。 この映画は史実にはないエリザベスの恋愛をひとつのモチーフとしています。彼女はあ […]
英国探訪7 エリザベス1世について(その2)
メアリとエリザベスの確執が大きなテーマの一つです。それぞれがイングランドの女王の地位につきますが、二人の関係とはいかなるものだったのでしょうか。 エリザベス1世 メアリ1世 エリザベスは3歳の時に母親のアン・ブーリンが処 […]
英国探訪6 エリザベス1世について(その1)
エリザベス1世は国王ヘンリー8世の次女で、母はアン・ブーリンです。アン・ブーリンは彼女を生んだ後、姦通罪で処刑されました。 幾多の試練を経てイングランドとアイルランドの女王の座につきます。在位期間が1558年 - 160 […]
英国探訪5 ロンドン塔の衛兵――ヨーメンウォーダーズとは
ロンドン塔に関する文献を読んでいて、「ヨーメンウォーダーズ」なるカタカナ語がでてきてさっぱり意味が分からない。 いろいろと調べた挙句、ようやく分かりました。Yeomen Warders と書きます。彼らの服装の色とデザイ […]
英国探訪4 ハンプトン・コート宮殿
前号でヘンリー8世は6人の妻を娶ったが、彼女たちが辿った運命は、 ①離婚 ②打ち首 ③死別 ④離婚 ⑤打ち首 ⑥生き残り であったと書きました。 今日は、五番目の王妃はどうなったか、というお話です。 舞台は、ハンプトン・ […]
英国探訪3 ヘンリー8世について
英国の小学生は、歴史の授業をおもしろそうな時代から始めるのだそうです。そしていちばん初めに習う国王がヘンリー8世です。 筆者にとっても一番興味深い王がこの人物です。 彼は生涯6人の女性と結婚しました。強引さも当代一流で、 […]
英国探訪2 大英博物館―ロゼッタストーンが語るものとは
ロンドンにある大英博物館で最も有名な展示品のひとつがロゼッタストーンです。ガラスケースに囲われた、歴史上最も有名な石の周りをいつも見物人が取り囲んでいます。 ロゼッタストーンは、1799年ナポレオンがエジプト遠征したとき […]
英国探訪1 ロンドン旅行で便利なオイスターカード――名前の由来について
ロンドンでバス、地下鉄にひんぱんに乗るにはこのカードが必携です。オイスターカード(Oyster Card)と呼ばれています。 ちょうど日本の Suica や Pasmo と同じ交通系のICカードです。 なぜ、オイスターと […]
小説「王子と乞食」(原題 The Prince and The Pauper)
ご存知トムソーヤーの冒険を書いたマーク・トウェイン(Mark Twain)の作品です。500ページを超える大作ですが、若年層を読者に想定した作品であり、何よりもスリルあふれる展開に引き込まれ、あっという間に読んでしまいま […]
福澤諭吉の「帝室論」について(その2)
前号では、あたかも現代にあって今の世相を憂えているかのような論説である「帝室論」のいくつかの文を紹介しつつ、それでは一体、「帝室を政治社外に高く仰ごうとする福澤の真意」とはどのようなものであったかを次号で考察したいと述べ […]
福澤諭吉の「帝室論」について(その1)
ある人の言を引用します。いつ誰が言っているか考えてみてください。(なお強調の太字は筆者によるものです。) 「今の政治というものは、よくよく調べてみると、どんなに民意を得ていると自賛するような政府であっても、せいぜい全国民 […]
福澤諭吉と北里柴三郎
大村智教授のノーベル賞受賞に寄せて (2015年) 日本人にとって嬉しいニュースが飛び込んできました。日本人受賞者の内の一人、大村智教授が北里研究所と北里病院で永年仕事をされてこられたことを知りました。 北里研究所病院は […]
福澤諭吉と教育ベンチャー
2012年12月15日、福澤研究センター講座、「『福翁自伝』を多角的に読む」(第3回)を受講した。 講師 四天王寺大学 曽野洋教授 テーマ 「福澤諭吉と教育ベンチャー」 講義では福澤諭吉を教育ベンチャーの担い手として捉え […]
福澤諭吉と「独立自尊」
福澤諭吉と言えば「独立自尊」と反射的に出てくるくらいに、これは有名な言葉である。 では、果たして実際に、真の意味でこの言葉を正しく理解できているのかと問われると、自分自身、心もとない限りである。そこで福澤が言わんとした「 […]
福澤諭吉、大隈重信と伊藤博文
NHK連続ドラマ「あさが来た」の放映時、毎朝楽しみに物語を追って観ていた。 このドラマでは江戸から明治にかけての貴重な歴史的事件や人物が扱われ、大いに興味と関心をそそられたものだった。 ドラマには福澤諭吉も登場した。一方 […]
福澤諭吉と英語(4)
前号では Society の翻訳語として、当初福澤諭吉は「人間交際」という訳を当てたと書いた。 当時、Society に対応する言葉がなく、これを日本語に訳出することは相当な困難があった。その状況で、「人間交際」という翻 […]
福澤諭吉と英語(3)
前号に続いて、福澤諭吉と明治期における翻訳語について考察をしてみよう。 「社会」は明治期に作られた society の翻訳語のひとつである。明治10年代以降人口に膾炙するようになったといわれている。われわれ現代人が当たり […]
福澤諭吉と英語(2)
福澤諭吉に関する研究、書物は巷にあふれている。それだけ魅力ある人物像であり、幾多の業績を残したからに他ならない。 筆者が興味を覚えるのは次のことだ。 福澤諭吉は英語をどう捉え、どう取り組んでいったのか。 福澤は欧米を視察 […]
福澤諭吉と英語(1)
なぜ日本人は英語が下手なのか。それにはある偉大な人物が大きく関わっているという。 本論の題名からすでに想像がつくかもしれない。そう、福澤諭吉がその原因を作ったという説だが、掘り下げていくと興味深いものがありそうだ。 「天 […]