荻 悦子
荻悦子詩集「樫の火」より~「冬の星」

冬の星   流星が見えない夜が明けると 父の命日だった 夜には昨年と同じように 近くの大学のホールへ クリスマスコンサートを聞きに行った 高名なヴァイオリン奏者は 姿からして鮮烈だった ドレスの色が真ん中で 縦 […]

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荻 悦子
詩~「空・五月」

 空・五月   野鳥が ピシピシ 鳴きながら 空の端を綴じて行く 目の粗い布 漉されるというより 自ら迸り出る 果汁 朝の音 松の木の 新しい銀の花穂 幹から枝へ 絡みついた蔦にも 柔らかな若葉が重な […]

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荻 悦子
荻悦子詩集「樫の火」より~「紫」

紫   自転車を折りたたんだ 硝子の水差しに水を満たした 人に伝えたいことを思いながら 何ということもない作業を重ねる 短い旋律が湧いてきた 丸く膨らんだ花 大きめの薊の花が色を失っていく 初めは冴えた紫だった […]

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荻 悦子
荻悦子詩集「樫の火」より~「なつかしい人」

なつかしい人   散った花びらを握っている 乾いて褐色になり よじれたガーベラの花びら 綿毛の下に 細い種が付いている 一日一日を問い尽くし ほぐれた花びら 種との境にふわり冠毛を生やして 待っていた 鳥の柔毛 […]

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荻 悦子
荻悦子詩集「樫の木」より「影絵」

影絵   暮れかかるころ 真新しい教会の前を通った 教会の破風にはダビデの星が光っていたが 私はその先に用があるのだった 前方を男が歩いていた 男の右足の先に何か影があった 夕闇と見分けがつきにくい 影はすぐに […]

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荻 悦子
荻悦子詩集「樫の火」より~「往還」

往還 気づかないふりをするのに 疲れた いや 飽きてしまった 不意打ちに会い (そうだったのか) 隠されていたことを (とうに気づいてはいたが) いまはっきりと受け止める アスファルトの広い道 交差点の中央が急に盛り上が […]

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荻 悦子
荻悦子詩集「樫の火」より~「徴」

文芸館では、これまで、荻悦子さんの詩集「流体」に収められた詩を紹介してきました。今後は、年に出版された詩集「樫の火」(思潮社)に収録された作品を順次紹介していきたいと思います。   徴(しるし) &n […]

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荻 悦子
詩~「タスマニア」

 タスマニア   コーティングされた紙の表面が照り タ ス マ ニ ア 零 時 至急返事をお送り下さい しゅわっと浮いて吐き出 されながら 床に届く前に 不均衡に巻き上がる こち ら 何時であっても 自在では […]

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荻 悦子
詩~「砂の数行」

左の耳の下に左腕を敷いた姿勢で目覚める 玉砂利の岸 に打ち上げられている ひりひりする痛さ ここはあな たが書き始める言葉のありかだと感じる わたしはあな たのペンの先からにじむ黒い雫 紙に落ち たゆたい やがて揺れ動く […]

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荻 悦子
詩~「痕跡」

痕跡 こがれる こがれる巻き貝の眠り 自ら紡いだ石灰質の 螺旋のままに 身を沈めていく 底の尖った窪みの一点 まで しゅるしゅる回転する身体 轤に回る陶土のよう に 脹らみ細まり やむことのない変幻 沈んで行く 埋まって […]

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荻 悦子
詩~「蜂」

蜂   書物を広げ 語りかける老人の背後に 丘に向かう石段がある 不揃いな自然の石を集めて 傾斜はゆるい 青い花を咲かせた釣鐘草が 細長い茎を捩じるように揺れ 大きな蜂が二匹 波のように交互にやって来ると 淡い […]

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荻 悦子
詩~「星群」

星群   シンバル わわっと背を揺すられる その後ろで ヒューと 花火のように 高く昇っていく音 ペルセウス座流星群が見えるかもしれない 明かりは消してある ベランダの天井が仄白い そこに 柱の影が折れて二本 […]

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荻 悦子
詩~「薔薇の谷」

 薔薇の谷   ひそかに 父の椅子を外して 始まった秋 大きな実がはじけ 鳥が群がる あらゆる方角で 歓声ばかりが大きく 熟れすぎてか 熟れないままでか 実はみずから あらわに皮を剥ぐ どこから取りつくにして […]

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荻 悦子
詩~「残響」

残響 投げられた マンドリン 波うち際 胴の中を走る 微量の砂 波のざわめきを割って ゆれあがる残響 硬く厚く 明け方 壁の海図に 亀裂を走らせる いくつもの半島 横たわる湾 砂丘をなぞり 汀をなぞり 見知らない海鳥の影 […]

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荻 悦子
詩~「流体」

流体 なぜ馬なのか それも白い 疾走する肢体が 薄明のなか 青ざめて見える 濡れた砂に 私が残した旋律 わたしの歌はやがて乾き 砂はうねって丘をつくった だが やさしい稜線 などと なぜ感じるのか 大きく揺れあがる馬の背 […]

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荻 悦子
詩~「視線」

視線   雲の岸辺で 見開かれている目 その強い視線 白い鋭い光 ぐっとこちらを射ると 光は瞳の外に 花びらのように弾け散り 目の輪郭は見えなくなる 見えない 捉えられない 熱 こちらを射る一瞬 白く燃える光 […]

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荻 悦子
詩~蝶と日時計

蝶と日時計 文字や標が 刻まれて円状に並び 古い石盤は乾いている 正午前 中心部近くに 黒い蝶が遭難した 翅を広げ 翅をすり合わせ あざとく見える 黒い蝶 その影はたよりなく 震えてうすく 正午の標までは届かない 日差し […]

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荻 悦子
詩~光と球体

光と球体 ものの影を重ねて ゆがんだ球体 空洞が ぽってりと座っている 忘れられている もつれて躍る光は 球面に漉され 過去はひとつの和音にこごる ひとすじ溶け出した雫か 生まれ出た力は われ知らずあふれ 空洞のなかを駆 […]

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荻 悦子
詩~鳥

 鳥   鳥が 身体を垂直に 尾を下にしたまま 枝から落ちるように すとんと下がり そのままの姿勢で 元の位置へ昇ろうとする 胸の位置に 両足をたたみ 羽根は ほとんど広げず 身体を震わせ 三十センチほどの […]

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荻 悦子
詩~空と湾

空と湾   手すり 窓枠 壁 それらを逸れて 薄く 布切れのように落ちる影は 鳥のもの 岩陰では ウニが あと一晩の浅い息をつぐ 網袋に集められ 実験用です 触らないでください そう書かれた札をつけて 瑠璃色の […]

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