齋藤英雄
野口英世とアメリカ(7)
<strong>5.野口</strong><strong>英世とジョン・ロックフェラー</strong> 英世は1903年秋、念願の欧州留学のチャンスを得る。行き先は、デン […]
野口英世とアメリカ(6)
4.ペンシルベニア大学にもぐりこむ 野口英世は「なんでもしますから、助手として雇ってください」と頼みこむが、フレクスナーは、「そんな約束はしていないし、自分1人で決めることはできない。申し訳ないが、日本に帰ってくれ」と言 […]
野口英世とアメリカ(5)
3.フィラデルフィアへの道のり 野口英世は、1900(明治33)年12月5日、客船アメリカ丸で横浜港から日本を離れた。英世は、3等船客であったが、船内で、駐米日本大使館に赴任する小松緑書記官と親しくなり、1等船客と同等に […]
野口英世とアメリカ(4)
清国での勤務でも、多額の給料は現地の歓楽街で使い果たし、貯えはできなかった。「このままでは無一文で、日本に帰ることになってしまう」と反省し、滞在期間を延ばしてもらうことにする。しかし浪費癖は直らず、かえって料亭への借金を […]
野口英世とアメリカ(3)
2.渡米のための資金調達 北里研究所での将来に希望が見えない上、同僚の関係が上手く行かず、英世の研究所の中での居心地は悪くなる一方であった。彼が、持ち出しを許されていない貴重な図書を友人に無断で貸し出し、それが行方不明に […]
野口英世とアメリカ(2)
1. 野口英世がアメリカに渡るきっかけ 1876(明治9)年猪苗代で生まれ、この地で尋常小学校、高等小学校を卒業した英世は、会津若松の会陽医院で医学の基礎を学び、上京。間もなく、医術開業前期試験合格。さらに、通常7年はか […]
野口英世とアメリカ(1)
野口英世と言えば、彼が子供の頃、手に大やけどを負ったこと、アフリカへ黄熱病の研究に行き、自ら感染してしまい、亡くなったことなど、ほとんどの日本人が知る努力の人である。 2004年から千円札には、彼の肖像画が登用されている […]
太宰治心中の謎(10)
9.終わりに 太宰治の墓は、三鷹の禅林寺にある。よく整備された寺である。森鴎外(林太郎)の墓と、太宰治の墓は、ななめに向き合う形で立っている。私がここを訪れた時、どちらの墓にも花が手向けられていたが、鴎外のものは、枯れか […]
太宰治心中の謎(9)
8.太宰は本当に心中するつもりがあったのか? 過去の心中未遂事件と同様、三鷹での心中においても、「太宰は本気で死ぬ気がなく、山崎富栄による、無理心中であったのではなかったのか」という説が根強くある。この説の根拠は以下の通 […]
太宰治心中の謎(8)
7.玉川上水心中時の太宰の女性関係 太宰は天下茶屋に滞在し、石原美知子と見合い・結婚した後、1939(昭和14)年1月、甲府市御崎町(現・朝日五丁目)に新居を構える。同年9月には、三鷹に転居。ここで、しばらく安定した生活 […]
太宰治心中の謎(7)
6.玉川上水の調査 太宰治と山崎富栄は、1948(昭和23)年6月13日の深夜から、明け方の間に玉川上水に入水したと考えられている。太宰の部屋がきれいに整頓され、山崎富栄の部屋からは遺書が発見されたので、玉川上水での心中 […]
太宰治心中の謎(6)
5.天下茶屋 「天下茶屋」は、太宰治が29歳の時、1938(昭和13)年9月13日から11月15日までの3ヶ月間滞在した場所である。甲府と河口湖を結ぶ、国道137号線の御坂峠の旧道トンネル河口湖側出口にある。ここからは、 […]
太宰治心中の謎(5)
4.水上温泉 太宰は、パビナール中毒(麻薬性鎮痛剤)で、1936(昭和11)年10月に、東京江古田の武蔵野病院(精神病院)に強制入院させられる。もともとは、盲腸炎をこじらせ、腹膜炎を起こした際に、痛み止めとして使用された […]
太宰治心中の謎(4)
3.七里ガ浜心中(未遂)事件の背景 (1)太宰治(本名:津島修治)の事情 太宰は、弘前高校時代から、青森の花柳界に出入りし、その時芸妓をしていた小山初代と知り合う。1930(昭和5)年弘前高校を卒業した太宰は、4月に東京 […]
太宰治心中の謎(3)
2.七里ガ浜 太宰治が初めて心中を図ったのは、1930年11月28日夜のこと。銀座のバー「ホリウッド」の女給をしていた田部あつみ鎌倉においてである。『葉』、『道化の華』、『狂言の神』、『東京八景』、『人間失格』などには、 […]
太宰治心中の謎(2)
それでは、太宰治心中の謎解きの旅を、読者の皆様と始めることにしよう。 1.斜陽館 現在「斜陽館」と呼ばれる太宰治の生家は、津島修治(太宰治の本名)の父である津島源右衛門が建設したもの。明治40年、工事費約4万円をかけて造 […]
太宰治心中の謎(1)
「ハイムのひろば」をご覧の方へ 私は、モノ書き、写真撮影、旅、社交ダンス、サイクリング等を趣味としています。「偉人」の足跡を訪ね、そこでの発見をまとめていたこともあり、今般、「ハイムのひろば」をお借りして、太宰治の心中に […]