フランスあれこれ
フランスあれこれ72~少子化対策
突然ビックリするような写真をお見せして恐縮です。背景はのちほど。 最初に申し上げます。私はフランスの少子化対策について特別の勉強はしていません。全て見たり聞いたことからの推測とお考え下さい。 前回の東京オリンピックの19 […]
フランスあれこれ71~風刺画とパリのテロ事件(2015年1月7日)
皆さんご存知の風刺画ですが、フランスの風刺画は私としては聊か違和感を感じると言うか、やりすぎの感じが否めません。フランスの人たちから色々教えられることの多かった私ですが、二度の駐在の後も、そして帰国して20年以上の経過の […]
フランスあれこれ70~アルビジョア十字軍とカタリ派の里=観光案内にない観光地
フランスの駐在時代は仕事に関係するところにしか出向かないし、仕事が終われば直行でパリに帰るのが普通です。駐在が終わり日本に帰国後3年、改めてフランスの田舎巡りをしようという事で出掛けました。久しぶりにパリの友人に会い、友 […]
フランスあれこれ69~白衣の王妃の黒い部屋=シュノンソー城
週末のパリは観光客であふれます。土曜日はお土産や自身の買い物、日曜日は観光です。その観光ですが通常は私の気分で行く先を決め来客にご一緒頂くのですが、特に日の長い春から夏にかけては好んで郊外をご案内しました。パリの東西南北 […]
韓国から来た香炉=私の思い出骨董品(4)
我が家の思い出陳列棚の片隅にこっそり鳴りを潜める香炉です。背丈15.5㎝で足が三本。本来仏壇の一角で鎮座するものです。 この香炉、実は韓国から来たものです。時あたかもわれらが住処ハイムの第2期工事の最中、人気絶頂で購入申 […]
フランスあれこれ67~聖ゲオルギオスの像=思い出骨董品(3)
およそ30年前のお正月、イタリヤのフィレンツェに旅行しました。ウフツイ美術館を見学した後、賑やかな街角で見つけた彫刻に一目ぼれ!これぞ獅子王アレクサンダー大王だと思ったことでした。以来我が家の思い出陳列棚に鎮座していま […]
フランスあれこれ66~フランス救急病院(II)
以前私自身が救急病院に飛び込んだ話を書きました。(https://bungeikan.heimnohiroba.com/writers/azuma/kyukyu-byouin/) それから20年経過して大阪勤務時代です。 […]
フランスあれこれ65~異常気象はアメリカから?
私のアルバムから右の写真を見つけました。日付は1964年11月21日となっています。東京オリンピックの年です。 話のスタートはこの種の路上絵画です。平素は何の気もなく上手いものだと感心しては小銭を空き缶にチャリンと放り […]
フランスあれこれ64~バゲットは主食か副食か?
こんな議論を思い出します。日本では米(ごはん)は主食と言われていますが、これは果たして現在も通用するのかどうか少々疑問があります。フランスではパンは主食や否や?答えは「ウイ!メ・ノン!」(Yes, but No!) 先 […]
フランスあれこれ63~ニースの想い出
1964年東京オリンピックの年です。パリに赴任して約半年、内地勤務時代の上司がニューヨーク出張の後ヨーロッパに見えるという連絡が入りました。入社以来世話になった上司でもあり、どうせ週末の時間つぶしの観光だろうと推測してい […]
フランスあれこれ62~シトローエンは自滅した!
50年位前のことです。人事異動で事務所長が日本に帰国、社用車のシトロエンが残されました。法人スタッフで車の運転は私だけだったので後任が着任するまで私が車の面倒を見ることになりました。お蔭で閑な週末など家族と郊外のドライブ […]
フランスあれこれ61~クロアチアから来たフラミンゴ=私の想い出骨董品(2)
半世紀以上も昔の想い出です。時代は旧ユーゴスラビアの時代、ソ連の影響下にあった共産主義国家でした。日本からの来客がザグレブに到着、それに合わせて空港で落ち合うことにしました。私はミラノから陸路レンタカーを準備しました。 […]
フランスあれこれ60~お酢と油=私の思い出骨董品(1)
我が家の想い出博物館にある一品です。何時の頃手に入れたものか静かに陳列棚に鎮座していますが、これを見るたびに日本の「お神酒徳利」(おみきどっくり)を思い浮かべます。 お神酒徳利は何故か2本、いつも並んで神棚にお供えします […]
フランスあれこれ59~戦場(II)ノルマンディー上陸作戦
1944年6月6日、英・米・加・仏などの連合軍がドイツの占領下にあったフランスのノルマンディー沿岸に上陸作戦を決行します。これが決定打となって態勢が一気に収束に向かいました。この現場を一度は見ておきたいと思っていたので […]
フランスあれこれ58~戦場(I)ヴェルダンの戦い
皆さん、アルザス・ロレーン地方という名前はご記憶にあると思います。現在フランスの一部ですがそう言えるのは正確には第二次大戦以降ではないでしょうか。それまでドイツとフランスの間で領土合戦が繰り返された歴史があります。その […]
フランスあれこれ57~ミレーの「落穂ひろい」=バルビゾン村
ナポレオンのフォンテンブローと来ると自然と足の向くのがミレーの「晩鐘」「落ち穂ひろい」のバルビゾン村です。フォンテンブローのすぐ隣り、日本からの旅行者にこの話を出すと皆さん飛びついて是非にと希望されます。しかし現地に入 […]
フランスあれこれ56~私のナポレオン(3)ナポレオン追想
1814年ナポレオンは皇帝の座を追われエルバ島に流されて一年、その間戦勝の欧州列国はウイーンで戦後体制を話し合いますが「会議は踊る」で遅々として進まず、後任のルイ18世の悪政による国内の混乱もあって、1815年3月ナポレ […]
フランスあれこれ55~私のナポレオン(2)百日天下への道
古いアルバムを繰っていて一枚の写真を見つけました。ナポレオンの乗馬像で日付は1992年。当時はデジタル化の前で写真撮影は景色と一緒に人物の写真を撮るというのが一般的でした。(人物は切り取っています) 1814年4月フ […]
フランスあれこれ54~私のナポレオン(1)ナポレオン時計
40年位前でしょうか、2度目のパリに赴任をしました。その直後ある得意先から記念品だと言って置時計を頂きました。何の記念だったのかは記憶にありませんが、「ナポレオン時計」だという事はしっかり覚えています。(写真はイメー […]
フランスあれこれ53~シャルトルの薔薇窓(私のステンドグラスの始まり)
シャルトルと言えば大聖堂、世界遺産です。 パリの南西約80km大穀倉地帯(ボース平原)の中央、遠くから大聖堂の尖塔が遠望出来ます。町は極めて静かでこの聖堂がなければ普通の田舎町です。サラサラと清水が流れる小川と緑の並木 […]