シンゴ旅日記インド編(その29)トヨタ・インドの巻

(本稿は2010年12月に書き下ろしたものです。)

トヨタ自動車のインドの会社はトヨタ・キルロスカ・モーター(TKM)と言いバンガロールにあります。

アジアではトヨタは各国でトップシェアーを持っていますが、ここインドでは4%弱のシェアーです。なんといっても乗用車はマルチ・スズキが一番でその後をタタ、現代が追いかける構図です。

そのトヨタが小型乗用車市場に打ってでました。その名はエティオスです。

12月1日に発表会がありました。日本の新聞でも発表されました。

豊田章男社長とTKMのヴィクラム副会長がエティオスを挟んで笑顔を見せている写真がインドでも新聞に載っていました。来年はエティオスの市場投入により販売台数を倍増させるとTKMは発表しています。エティオスの排気量は1500CC、ガソリン・エンジン車です。燃費17.6Km/㍑、ワイパーはナノと同じく一本です。5種類あり、値段は49.6万ルピー(92.3万円)~68.6万ルピー(128.4万円)です。

インドでは乗用車はその車体長さにより6段階に別れます。

1.3400mm以下。                  Mini                  ナノ、マルチ800

2.3401mmから4000mm Compact アルト、ワゴンR、ゼン、スイフト、インディカ

3.4001mmから4500mm Midsize             シティ、Dzire(スズキ)、Accent(現代)

4.4501mmから4700mm Executive          カローラ、シビック、ベンツCクラス、

5.4701mmから5000mm Premium カムリ、ベンツEクラス、アコード、ソナタ

6.5000mm以上            Luxury              ベンツSクラス

今回のエティオスは車長が4300mmですので、上記のMidsizeクラスを狙ったものです。

新聞記事にあるDzireと言うのはマルチ・スズキの対抗車種のことです。

トヨタ自動車はインド進出ではバツイチなのです。

1984年から1994年までDCMインターナショナルという会社と商用車ダイナを生産・販売していました。しかしマーケティングの問題などいろいろあり結局合弁解消となったのです。

インドの自動車産業は80年代に入る前まではヒンドスタン・モーター、マヒンドラ、タタなど7社が国から保護されている状態でした。

80年代に入りインド政府も低価格国産車を普及する目的でマルチ・ウドヨグ社を設立し82年にスズキをパートナーとしました。

そしてトラック市場ではタタがほとんどのシェアーを握っている中に、トヨタが84年にDCM社と合弁会社設立しました。しかしその前にインド政府はマツダ/住友商事と現地企業(パンジャブ・トラクターズ社)の間でスワラジマツダを設立していました。したたかなインド政府ですね。

そしてインドは1991年に深刻な経済危機に見舞われ経済自由化のもと乗用車部門以外は外資参入を自動認可としました。ただし、外資比率は51%以下でした。

そして93年には乗用車も含め自動認可とし外資の比率の上限も撤廃しました。

それに伴い95年にはフォード、ホンダが、96年には現代自動車が会社を設立しました。

そして94年に一旦インドを撤退していたトヨタは97年にキルロスカと提携してTKMを設立しました。トヨタはインド進出にあたり最初はタタに接触しましたが、資本のマジョリティを譲らなかったので破談となりました。そして立候補してきたのがキルロスカ・グループでした。

同グループの創業は農具メーカーです。創業者が19世紀に鉄の鍬を作ったことが始まりで、1960年代にアメリカ企業とディーゼル・エンジン会社を設立、今では産業用エンジン、モーター、コンプレッサー、ポンプ、バルブの大手メーカーです。

創業当時から物作りメーカーであったことでトヨタと意気投合したようです。

スズキやホンダは市場の大きいデリーに近いインド北部に工場を構えました。

しかしトヨタはカルナータカ州のバンガロールと言うソフトウェアで有名な新興都市を選びました。これはトヨタがパートナーを重視した表れと言われています。

現在の出資比率はトヨタ89%、キルロスカ11%です。

1997年の合弁設立時の事業計画は生産開始を1999年12月として、2010年までに10万台の生産体制とすることでした。そして最初の生産機種はキジャンでした。キジャンはトヨタのインドネシア工場が生産する機種でした。

2005年からはトヨタのIMV(世界戦略車)のイノーヴァに変更となりました。

TKMの立ち上げで苦労されたトヨタの技術者と営業マンの本を読みました。工場長となった人はインドネシア、タイの工場経験がある人でした。

販売を任命された人は中国市場で販路を開いた人でした。

そのお二人の生産サイド、販売サイドの苦労話は省略します。

興味のある方は日刊工業新聞社刊『トヨタとインドとモノつくり』をお読みください。

 

(ご参考まで)アセアンではインドネシア、タイが日本の自動車会社の生産基地です。

これらの国々では乗用車よりもピックアップスタイルの商用車生産が主体です。

タイではディーゼル・エンジン車が主体です。ユーロの規制をもパスする規格です。

またタイではピックアップではトヨタ、いすゞ、日産が3大メーカーでそれに三菱が続きます。

そしてこの3社が主要部品の協調生産していたのをご存知でしょうか?

トヨタはエンジン・ブロックを、ニッサンはシリンダー・ヘッドを、いすゞはクランクシャフトをそれぞれ生産していたのです。各社の仕様は違いますが、生産量が少なかったのでこの3社協調が行われました。ニッサンの鋳物工場はゴーンさんになって日系の鋳物会社に売却されました。

そして、トヨタはシリンダー・ヘッドが鋳鉄より軽いアルミ鋳物に変わりました。そしてこの3社協調はなくなりました。ちなみに私の会社はインドネシアのトヨタの鋳物工場、マレーシアのプロトン(三菱自動車との合弁)の鋳物工場、タイのトヨタ、ニッサンの鋳物工場に設備を納めています。タイのいすゞのクランクシャフトは鍛造品ですがその後処理工程にも私の会社の設備が入っています。

 

丹羽慎吾


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