シンゴ旅日記インド編(99)ワテは運転手(コチ)の巻

シンゴ旅日記インド編(99)ワテは運転手(コチ)の巻

ワテは会社の運転手でんねん。社長さんは日本人ですわ 。

ワテな8月15日の独立記念日の休日に休暇を4日半もらって土日をくっつけて 7 日間の休みをもらいましたんや。 独立記念日は1847年の8月やさかい、今年で65回目なんですわ。

日本では今年は67回目の独立記念日なんですってね。

何でワテが七日間も休みを取るのかってですか?
それは、ワテの 従兄弟 の結婚式にコチちゅうとこに行くんですわ。 結婚する従兄弟ちゅうのは、死んだオカンの弟の息子ですわ。

コチは昔でいうコーチンですわ。最近の地方語優先の風潮でコチちゅうて、名前が変わりましたんや。ボンベイがムンバイ、マドラスがチェンナイと変わったんとおんなじですわ。

そや、今日はコチをコーチンって言いますわ。

コーチンは南インドのケララ州の町ですわ。州都はトリヴァンドラムで、州の人口は33百万人ですわ。南インド言うたら、チェンナイのあるタミール・ナド州、バンガロールのあるカルナータカ州、ハイデラバードのあるアーンドラ・プラデシュ州、そしてコーチンのあるケララ州で、インドの南部 4州って呼ばれてますんでっせ。

それぞれの州はタミール語、カンダナ語、テ ルグ語、マラヤーラム語が主要言語なんですわ。みんなドラヴィタ系の言語で文字も、ちょっと似てるようで違うんでっせ。

プネからコーチンまででっか、そりゃ、電車で 丸一日かけて行くんですわ。飛行機なら二時間もかからんと行けますけどね。

プネから電車に乗ってコラプールちゅう、内陸の町を通って、ご存知のゴアちゅう港町に出て、それか ら海岸沿いをずーっと走ってく電車なんですわ。ケララ・エクスプレスちゅうんですわ。

料金でっか、片道1500ルピー(2100円)ですわ。二段ベッドの寝台列車でAC付でっせ、料金は三段ベッドよりもちょっと高いけど、個室よりも安いんですわ。

プネから弟と妹と妹の息子と結婚式に行きますんや。弟は仕事の都合で後で来るちゅうんで、妹と甥っ子と一緒の電車で行きますんや。 コーチンより途中停車するゴアの方がもっとエエ町なんでっせ。

ここは歴史があって、海もきれいで、外国人観光客もおおて、アカン、アカン、話題が逸れそうやから、コーチンの方に戻りますわ。

コーチンもゴアに劣らず昔からの歴史ある港町なんですわ。ともにアラビア海に面してますやろ、昔からローマ帝国とか、イスラム商人とか、ポルトガルと、オラン ダとか、イギリスと商売したりしてたとこですわ。

そやから、ほかのインドの町と比べて、結構、早うからキリスト教が入って来てましたんや。

そんで、コーチンの町は大きく分けて三つに別れますんや。東側が鉄道やバスのある内陸部分で、その隣にウィリントンちゅう人 工の島があって、その隣がアラビア海に面したフォート・コーチンで すわ。この昔からの風情を残すフォート・コーチンが見所ですわ。

そこにはポルトガルの航海士のヴァスコダ・ダ・ガマ(1469年?~1524年)の墓のある教会がありますんやで。遺体はポルトガルに送られたんやけど、その後が残ってますわ。その教会の名前は聖フランシス教会ちゅうんですわ。

ポルトガルはカトリックやけど、その後に来たプロテスタントのオランダが1663年からコーチンを占領したもんで、教会はプロテスタントに変わってもうて、オランダ人のお墓もあるんでっせ。

その教会の近くには、同じようにポルトガル時代に作られたもっと古い教会で、サンタ・クルス聖堂がおますんやで。

それに、ポルトガル時代の1555年にコーチンの藩王につくられた宮殿が、その後に来たオランダの総督の屋敷になったんで、ダッチ・パレスと呼ばれるニ階建ての建物がありますんや。今は昔のまんまの家具なんかが展示されておって博物館みたいになってますわ。ユダヤ教の礼拝堂シナゴーグもありますんやで、紀元一世紀ごろにローマ帝国に滅ぼされたパレスチナのユダヤ人が、商人になって世界各地に散ったんですわ。

その一部がインドの西側や東側にやってきたんでっせ。コーチンではユダヤ人町ができるくらい大勢 いたんですわ。香辛料貿易を一手に引き受けていたんでっせ。

そやけど、コーチンのユダヤ人は『十分にユダヤ的であり、インド的である』といわれたんですわ。 きびしいユダヤ教のしきたりを守ったんやけど、生活にヒンドゥー教を取り入れたりしたんですって。けど、1948年にイスラエルが建国されると、みんな行ってもて、もう3家族しかおらんちゅう話でっせ。

教会は無料で入れるけど、ダッチ・パレスは一人10ルピー払わなあきませんのや。それに写真の撮
影が禁止なんですわ。

シナゴーグですか、ワテは入ったことないんで、入場料がいるかどうか分かりませんのや。そうそう、フォート・コーチンの一番北の海岸沿いではチャイニーズ・フィッシング・ネットを使った魚取り を見ることができますんやで。

石のオモリと人力で、沈めたり上げたりする網がズラーっと、海岸沿いに並んでおって、そこで取れたての魚を道端で売ってまんのや。

それにお土産屋さんも道端に並んでおって、ちょっとした観光地ですわ。そやさかい、見学にくる外国の人も多いんでっせ。インド人かて、ようけ見に来てまっせ。海鮮レストランや、バーなんかもありますわ。けど、お酒はゴアの方が安いんでっせ。税金が少ないからですわ。アカン、アカン、どうしてもゴアが出て来てしまいますわ。
博物館と言えば、つい三年ほど前に出来て、個人が集めたものを展示してるForklore Musiumちゅう博物館は見ものでっせ。
入場料は200ルピー、カメラ持ち込みは50ルピーとちょっとお金を払わなあかんけど、紀元前からの遺物なんかも集めたちょっとした博物館ですわ。入口で裸足にならないけませんで。

そんで帰りには受付でコメント書いたりできますよや。その博物館を紹介した40分もののDVDを200 ルピーで売ってますんやで。

またコーチンは、そりゃー、なんといっても、食いモンですわ。

海のすぐ側やさかいに、お魚、エビ、カニ、イカなんでもありですわ。料理方法も外国人観光客が多いよってに、ヨーロッパ風やったり、日本の天ぷら風な盛り付けもある んでっせ。社長さんが来はったったら、毎晩ワインと海鮮料理でニコニコ顔やろうね、きっと。

えっ、ワテらが長いことコーチンに行って、どこに泊まるのかってですか。心配いりませんのや。 ワテの叔父さん、国立の銀行勤めですんや。その奥さんは国鉄勤めですわ。

その子供たち、ワテの従兄弟たちは、ガルフ(中東)に働きに行ってますんや。そんで、今度結婚する従兄弟はガルフから帰って来て、なんや商売するらしいですわ。そんで、叔父さんの家かて、フォート・コーチンの海岸沿いにある、めっちゃ広い家なんですわ。ワテら兄弟家族が何人行っても泊まることができるんでっせ。それに、結婚式は二日続きですがな。まあ、大勢の人が集まると思いますわ。オカンですか?男2人、女4人おる兄弟だったんでっせ。
みんな、政府や大きな会社に勤めてますんや。ワテだけですわ。運転手やってますんわ。トホホですわ。

あっ、そうそう、ケララ州は識字率(リテラシー)がインドで一番高いんでっせ。それにキリスト教徒が多くて、英語を話す人も多いんで、街の中の看板は英語表示が多いんですわ。 いっぺん、行ってみなはれ、コーチンはエエとこでっせ。

日本も土佐のコーチンちゅうところは海の町らしいでんな。海鮮料理が『ごじゃんとうまい』って言うらしいそうでんな。ほな、ワテ、ちょとコチへ行ってきますわ。

ワテがおらんでも忘れなさんなよ、『コチ吹かば思い起こせよ』ちゅうやつですわ。ほな、さいなら。

付録:Forklore Meseum ミニ案内

三階はステージになっていて、定期的に民族踊りなどを上演します。

丹羽慎吾

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