シンゴ旅日記ジャカルタ編(18)  散歩しながら考える(ひこばえ)の巻

散歩しながら考えるの巻 ひこばえ (2019年10月記)

朝散歩で道路脇や家の庭先の花々や木々を眺めます。

植物はじっとしていて、動物のように動き回りませんが、したたかに生きています。

そのたくましく生きる力を「接ぎ木」や「挿し木」に見た時には驚きました。

さらに驚いたのは幹が根元や途中から切られても、残った幹から生えている枝とか葉を見た時です。元の幹の成長が止まってしまっても、それを乗り越えて生きて行こうとする若い枝や葉です。

それを見ると思わず「頑張れよ」と言いたくなってしまいます。

この幹を切られても生えてくる葉や枝のことを「蘖(ひこばえ)」ということを知りました。

大きな幹に対して若芽がまるで孫(ひこ)のようなので「孫生え」と名付けられたのです

この「ひこばえ」は広葉樹によく見られる現象で、スギやマツなどの針葉樹ではあまりみられないようです。

このひこばえ(蘖)に昔から日本人は生命力の強さを感じ俳句にしています、

ひこばえは春から夏に掛けて見られるので春の季語になっています。

蘖や 涙に古き 涙はなし   中村草田男(1901年~1983年)

私がこの句に出会ったとき想像した場面は次のとおりです。

ある老人が幹を切られ朽ちかけた古い株に新しく生えてきたみずみずしいひこばえを見ました。

そして老人は思いました。

ああ、大木は切り取られてしまったが、新しい芽が出てきて生きようとしている。

まだ古い切株は死んだように見えても、その力を若い芽に与えようとしているのだ、若い芽に自分の知識や経験を与えようとしているのだ。

そして、若いひこばえは古い切株の代わりに生きて行こうと思っているのだ。

私もこの切株のように年を取ってしまったが、心の中ではひこばえのように生きる力があるのだ。

ああ、感動して思わず涙が流れ出てきてしまう。

ああ、この私の体は古い切株だが、今流れ出るこの私の涙は今の私だ、このひこばえのようだ。

「ひこばえ」でネットを検索していましたら、朝日新聞に重松清が「ひこばえ」という題名で小説を書いていました。2018年の6月1日にスタートして2019年9月30日に終了しました。

その小説の掲載前の作者紹介と作者の言葉は次のとおりです。

(作者紹介)

重松さんは1963年、岡山県生まれ。91年「ビフォア・ラン」でデビュー。

98年に本紙で連載した「エイジ」で翌年の山本周五郎賞を受賞しました。

01年に「ビタミンF」で直木賞。10年「十字架」で吉川英治文学賞。早稲田大学教授。

「ひこばえ」は父の死をテーマとした物語です。

弔いをめぐる様々な問題を通して、現代の家族の姿を見つめます。

(作者の言葉)

一昨年、父を亡くし、大学の教壇に立つようになって、自分は前の世代からなにを受け継ぎ、次の世代になにを手渡すのか、いわばリレーのバトンについて考えることが増えました。

新しいお話では、その問いを正面から、腰を据えて見つめるつもりです。

若い頃から父親と息子の物語を好んで書いてきた僕も、55歳。亡くなった親との付き合い方、すなわち、親をどう弔い、どう偲(しの)んでいくか……。

そんな問いも折り込みつつ、いまの歳でなければ書けないお話に挑みます。

 

なお、刈り取った稲の株から生えてくるひこばえを「ひつじ」と呼び穭、稲孫と書きます。

また、穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)といいます。俳句では秋の季語になります。

ひつぢ田に紅葉ちりかかる夕日哉   蕪村 「蕪村句集」

ひつぢ田の案山子もあちらこちらむき 蕪村 「夜半叟句集」

ひつぢ田や青みにうつる薄氷      一茶 「寛政句帖」

 

日本人の自然や季節を観察する鋭く優しい目、そしてそれを言葉や文字

に替えていく感性って素敵ですね。

 

丹羽慎吾


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