シンゴ旅日記 特別寄稿  帰国者のボヤキ(その4)成田待機生活初日の巻

成田のビジネスホテルで15 日間の待機生活が始まりましたんや。その初日の朝ですわ。私はインドネシアでは毎朝5時頃に目が覚めてました。日本とは2時間の時差があるさかい日本の時間でいうと7 時ですわな。けど成田のホテルではなんと日本時間の朝5 時に目が覚めてしもたんです。インドネシア時間ではまだ深夜の 3 時でっせ。

私の体内時計は一体どうなっているやろね。それとも体が衛星電波時計みたいに自動的に日本時間に切り替えてくれたんでしゃろか。外はまだ真っ暗でした。テレビをつけましたら「おはよう日本」をやってまして、久しぶりでした桑子さん、ちょっと前までジャカルタでは夜の9 時のニュース、チカランでは7 時にお会いしていましたわな。

そんでチャンネルを回して、ちゃう、回すんと違います、押すんですね。これって同じことを河野大臣がツイッタ ーで書いてましたな。どこの局も台風がゆっくりと関 東に向かってるちゅうニュースばっかりでしたわ。ええですな日本は、日本語でしゃべってくれるテレビ番組ばっかりで。それに番組表がテレビ画面に出るん ですよ。いちいち新聞の番組表を見んでもええんですわ。それに見たい番組のとこにや矢印で移動してリモコンを押すだけでそこに替わるんでっせ。受像機は Samsung やのうてSony でしたもんね。

そんであちこちのテレビ番組を見てましたけどお腹が空いて来たんで前の晩にコンビニで買ったオニギリ1個ととん汁で腹ごしらえをしたんですわ。7 時半すぎにルームサービスで朝食が来ることは知っていましたけど空腹には勝てんかったんです。オニギリを食べ終わってもルームサービスまで時間があったんでコンビニに行くことにしましたんです。まるで買い物好きの主婦みたいでやね。外は曇ってましたけどもう十分に明るかったですわ。何を買いに行ったんかちゅうと寒かったんで下着のシャツを買おうと思ったんです。

日本はまだ 10 月やからT シャツ一枚で過ごせるやろと思ってまして肌着のシャツを持ってきておらんかったんですわ。けど前の日から関東地方は11 月中旬の寒さになってたんです。シャツはそのコンビニには置いていませんでしたけど何か買わんとあかんと思ってドリップコーヒー10個入りを買ってホテルに戻りましたんや。

そして7 時半過ぎにドアがノックされたんでドアを半分引くとネクタイ締めたホテルマンがルームサービスの弁当をドア越しに渡してくれましたわ。なんか収 容所で一人分の食事を係官から受け取ったような感じでしたで。弁当のほかにはインスタント味噌汁とパン2個とバターやマーガリン、ジャムのあの小さなパックもそのビニール袋に入ってましたわ。ちょっと前にオニギリを食べていましたんで空腹感はおませんでしたけど弁当とパン二個 を全部平らげましたわ。我ながらよく食べるもんですな。なんも運動してへんのにね。そうそう部 屋が狭いんで机の上で食事したりパソコンしたりするときにイスに座るとその脚がベッドにビッタリ  とくっついてそれ以上後ろにずらすことができんのです。

そんでイスから離れるときにちょっと腰をひねらなあきませんのや。するとちょっと腰がグキッと痛んだんです。ちゅうのは帰国前の土曜  日にアパートで大きなトランクに荷造りしたときに腰を痛めたんですわ。飛行場で預け入れる荷物は一個23kgにせなアカンのです。そんで重いトランクを手に持って体重計に何回ものって23kg以下に収めたんですわ。二個も大きいトランクがあったさかいに中のもんを出したり入れたり、入れ替えたりで大変でしたで。そんで日曜日に昼食送別会をしてくれるちゅうお誘いをお断りして寝てましたら腰の痛みはのうなったんです。けど長時間の飛行機の中とホテルでの座ってばかりの姿勢やったさかい腰に負担がかかったんでやろね。

それで私はコルセットを付けましたんや。なんで私がコルセット持ってるのかって?そのコルセットはチカランで同じ年配の飲み友達がもってけって私にくれたんですわ。その友達は数か月前にひどい腰痛になって座ることしかできん  かった時があったんですわ。そんで私が腰痛になったことを知って飛行機の中では狭いところに  座ってばっかりやからと彼が使ってたコルセットと腰痛用の薬4 種類をくれたんです。それも出発前夜の送別会の席でですわ。薬は病院でもらったんと同じもんをその日にわざわざ薬局で買ってきてくれたんでっせ。ありがたいもんですな。まさかの友は真の友Rainy day friend is a true friend でっか、いや学校では A friend in need is a friend indeed と習ったたんとちゃうかな、どっちやろ。そして同病相哀れむFellow sufferers pity each other ちゅうやつでわな。

帰国する飛行機の中では腰は痛まんかったんやけどえらい冷房が効いてて鼻水が出て止まらんようにな ってたんで薬局で腰の痛み止めの湿布薬と風邪薬を買おうと思ってスマホで近くに薬局がない かどうか調べましたんや。すると歩いて行けるところに薬局がおましたんです。そんで「シャツ」と「湿布薬」と「風邪薬」と机の上にあったメモ用紙に書いてから午前中は横になって休んで昼過ぎに外出することにしましたんや。

最近は買い物に行くときにメモしとかんと忘れますんですわ。チカランでも自炊してましたんでスーパーに買いもんに行って帰ってきて、あれ買うのを忘れてちゅうてまたスーパーに買いにいったことが何回もありましたわ。それからですわメモするくせがついたんわ。日本にいるときに嫁はんがいつもスーパーに行く前に買うもんをメモしてて、そんなん全 部頭に入らへんのかなあと思ってましたけどよう理解できるようになりましたわ。単身赴任ちゅう のは主婦の苦労がようわかりまんな。嫁さんに感謝、感謝ですわ。若い時に食事中に新聞読んでてごめんなさいです。

そんで午後になりましたんで外出しようと部屋のドアを開けますとドアの 下に何かを包んだ白いビニール袋が置いてありましたんや。その中には新しいシーツやガウンや アメニティちゅうもんが入っているもんでした。そのビニール袋を部屋の中に入れてまた廊下に出ますとどの部屋のドアの下にもおんなじ白いビニール袋が置いてありましたわ。ホテルの外に出ますと曇り空でした。

スマホの地図を頼りに歩いていくとJR 成田駅に出ましたんや。駅舎を見て二年前に家族旅行で千葉に来たときに嫁さんと次女とこの駅に来たことを思い出しましたわ。その時は長女も一緒に千葉の養老渓谷に2泊3日の旅行しましたんです。房総半島を横断する  小湊鉄道といすみ鉄道に乗りましたんやで。お寺で写経したり港町の魚市場に行ったり、そうそう「月の沙漠」ってどこが舞台か知ってまっか。

あれは鳥取県の砂漠やのうて千葉県の御宿(おんじゅく)でっせ。それにあの歌の題名は「砂漠」やのうて「沙漠」なんですわ。沙には「すなはま」ち ゅう意味があるんやそうです。

そんで最後の日に長女は一足先に岡崎に帰って私はジャカルタ  に次女はシンガポールに戻る前の晩でしたわ。二人を見送りたいちゅう嫁さんと3人で空港近くのホテルに泊まったんです。そんで3人で夜に成田山に来て参道で日本最後の夜やちゅうてウ ナギ料理を食べて三重塔を見に行ったんですわ。成田山の参道ってウナギ料理で有名なんです。ちゅうのは成田の西にある印旛沼でウナギがぎょうさんとれたんで成田さんへの参拝客にも てなしてきたそうですわ。JR 成田駅から新勝寺までの参道のおおよそ800mの間に60軒ほどのウナギ料理屋さんがあるそうでっせ。私は今回二週間も成田におるんやけどウナギ料理は見るだけの生活ですわ。待機生活が終わる最後の日にウナギ料理を食べて岡崎に帰ったろかいな。けど岡崎で食べる一色ウナギの方が美味しいやろかなあ。

あかん、私は薬を買いに行った んですわな。私は JR 成田駅の構内を通り抜けて西口に出ましたんや。そして西口に続く高い遊歩道を降りで少し歩きますと目指す薬局があったんやけど閉まっていましたわ。他に薬局がないかと近くを歩いてみますとクリニックがありその横に処方箋を扱う薬局がありましたんや。けどそこも閉まっていたんですわ、きっとその日は空海さんの宿曜経でいうと運の悪い日やないかと思い ましたわ。

なんで空海さんが出てきたかちゅうとね成田の新勝寺は空海さんが始めた真言宗やからですわ。そんでその日は薬を買うのをあきらめて駅の方に戻りますとなんと駅に上る階段のすぐ横にマツモトキヨシがあったんですわ。さっき来た時は駅から続く高い遊歩道を歩いて違う方向へ降りたんわでお店があることがわからへんかったんです。わあ、やっぱり空海さんは私を 見すてんと助けてくれはったと感謝しましたわ。

そのお店で痛み止めと風邪薬を買いましたんや。年配の男性店員さんはえらい親切で「どのような症状ですか」と聞いて鼻炎に聞く「鼻炎」ちゅう薬と腰痛用の貼り薬を選んでくれましたわ。支払いを済ませてお店を出ようとすると雨が本 降りになっていましたんでその薬屋さんで透明のビニールの雨傘を買いましたわ。

そしてその傘をさして歩いてホテルに戻る途中の大きなコンビニで買い物をしましたんや。そのコンビニは駅に行くときにみつけましてね、その時は中に入ってシャツがあることを確認しておったんですわ。そで帰りに買いたかったんはシャツと夕飯の弁当とドリップコーヒーを飲むのためのコップですわ。 ドリップコーヒーを朝に買うたんですけどカップを買うんを忘れておったんですわ。やっぱり買いもんするときはメモをしなあきませんな。コップは普通の紙コップ 10 個入りしかありませんでしたわ。

そんで半袖のシャツ二枚と紙コップ10  個セットとコンビニ弁当を持ってレジに行ってお金を払おうとしますと店員さんの後ろにジュースを売る機械が置いてあってその横に長い紙コップがあるのが目に入ったんですわ。そのLサイズのコップにコーヒーをようけ入れることがでけると思って欲しくなったんで弁当を温めてもらっている間に店員さんに「あの長いコップを売ってください」とお願いすると店員さんは「ちょっと待ってください」と言ってジュースのメニューをジッーと見てコップだけの値段を調べてましたが価格が載ってないようだったんで「ただです」と言ってその大きなコップを温め終わった弁当と同じビニール袋に入れてくれましたわ。

マツモトキヨシといいコンビニといい日本の店員さんは優しくて親切でんな。それに道路を横断するときすべての車が止まって私が渡るのを待ってくれますんや。日本は歩く人に親切な国になったんやね。そして雨の中を傘さしてビニール袋を三つ手にもってホテルに戻りましたんや。そんで食事する前にメールを開きますとチカランのサービスアパートからメールの連絡が入ってて預かった洗濯もんや退去した

部屋にある棚やスタンドはどうしますかって問い合わせが入ってましたんや。というのはアパート  との契約があと一カ月残ってましたんですわ。私はジャカルタから通ってる部下がひとりおりまし たんで、もし暴動かなんかでジャカルタに戻れん時には私のおったアパートに泊れるようにと備品も少し残してきたんですわ。ちゅうのはね私がジャカルタから帰国する前の日から学生や労働者が大きなデモをしだしたんですわ。それは政府が雇用を創出するために投資をしやすいようにと労働法や投資法など11 分野をひとくくりにして改定するちゅうもんですわ。インドネシアはタイやベトナムに外国からの投資で負けてますんでちょっと投資する企業の方に有利にしたんですわ。その法案が最近国会を通ったんで学生や労働者が最低賃金や退職金が下がるゆうて政府に反発しだしたんです。けど日本と同じできっと裏では政治的な駆け引きがあるんとちがいますやろか。

そうそう、それに二つもらってました部屋のカードキィのうち一つを返さなアカンかったけど私が空港で運転手さんに渡すのを忘れてしもて持って来てしまってたんですわ。そのカードキィについて費用を払う必要があるかどうかもメールで聞いていたんです。それで私はアパートの メールをくれた人にすべてチカランの私の後任者に話してあるので彼に聞いてくださいと返事し ましたわ。その日はそのあと弁当を食べてマッチ箱のような浴槽で体を縮めて温まってから寝ましたわ。鼻水もまだ出てたんで前の晩に買うたウィスキーもワインも封を切らずに机の上に置いたままでしたわ。それらは風邪が治ってからいただくことにします。

これが待機生活一日目です。はい。それにしてもコロナ感染者についてはどのテレビ局も東京の感染者や死亡者ばっかり話してまんな。これは成田が関東で東京の放送局のテレビ番組のせいやろか。けど検疫で 7 人の感染者がでたって言ってましたわ。待機生活に入った人が感染者になる割合ってなんぼなんでっ しゃろな。けど明日からこんな生活が続くんでしゃろか。

丹羽慎吾

    シンゴ旅日記 特別寄稿  帰国者のボヤキ(その4)成田待機生活初日の巻” に対して1件のコメントがあります。

    1. SHO-CHAN より:

      貴殿に本日聞いて初めて読ませて戴きました。タイの時と語調が変わった様な気がします。関西弁なのか岐阜弁なのか?それとも平成弁なんですか?面白く読ませていただきました。なかなかこの様に駐在生活を纏める人は少ないかも知れませんね。本にされたらどうですか?仕事が落ち着いたら豊川で「山本さん」を入れて会食でもしましょう。

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