荻悦子詩集「樫の火」より~「振り子」



振り子

ステンレスの格子戸が降りてきて、ベルが鳴り終わ
った 居合わせた人たちは動きようがない

廊下の片側に扉が並んでいる 扉はみな閉ざされて
いる フロアから内階段を降りた 踊り場をひとつ
経ると またフロアがあった 階段で繋がったフロ
アふたつ そこだけが私たちの場所だった

フロアには濃い緑に塗られた木のベンチがあった
何人かがそのベンチに座った ベンチが左右に揺れ
出した ベンチはいくらか宙に浮き 振り子のよう
に左右に揺れた 私は床に座ってそれを見ていた
踊り場の木の手すりが鈍く光っている 黒く澱んだ
照りぐあいが 今は塞がれた空間にこれまで積もっ
た時間の長さを語っていた

私の前に人が立った その人が言った あなたもあ
のベンチに移りましょう ただ見ていて時を知るの
ではなく 大きなものの中へ 時そのものの中へ
そこに入り込んで 自らそれを測るものにならねば
なりません

また別の人が前に立ち 私に訊いた あなたはこれ
までどちらの方でしたか 私は応えた あちらでし
た 町のあちら ハイウェーのあちら 湖のあちら
におりました

その人は私を遮って言った そんなことを訊いてい
るのではありません これまであなたは女性でした
か 男性でしたか 頬に触れる空気がじわりと変わ
った 刈られて間がない草が発する青臭い匂いがし
た 私は周囲を見まわした 近くにいるのは女性と
見える人ばかりだった

私は頭を上げて言った まったくもって私は女性に
見えるでしょう ですが しいて言えば中性でした
と申し上げたい 中世があってよいと思います こ
こではことに雌雄の別は無意味に思えます 女の人
たちは目を見交わし 声を立てずに笑っていた 何
事かが進行していた

壁の高い所に六万星を模った金属の枠が飾られてい
た 床には大きな壺があり 松の枝や柊が生けられ
ていた 何かの枯れ枝に掛けてある宿り木の緑がさ
えざえとしていた それらの植物はむかし住んだ地
方の初冬を思い出させた 柊の葉と実はすっかり乾
いている 炉にはぜる火の音や月の影があってもよ
いのに ここにあるのは 空調機が立てる低い音と
白々とした照明の光だけである

星型の金属がある位置は部屋の中央を表すらしかっ
た その下に人が順に立ち 様々な演説をした 壁
に外国語を走り書きする人がいたし 図表を掲げて
説明する人がいた 組織を作り 世界にアピールす
るという カケスのようにふいに声音を変える人が
歩み寄ってきて言った 中世のつもりであれ何であ
れ あなたは既に取り込まれたのです

また一人 私の前に人が来て言った 外界では私が
あなたの名であなたを演じます 私はもぞもぞと身
体を動かし呟いた あなたとは似ていないと思いま
すが その人は応えた いえ外界と言いましても
もはやあちらのあちらではないのです 今のあなた
を知る人はいません それに外見が似ていないと言
いましても どうでしょう 私たちは実に同じよう
ではありませんか

私は憤慨を隠してその小柄な丸顔の人に言った ど
こかでお会いしたような気がします その人は頷い
た そうでしょうとも むかしむかし同じ宿舎にお
りました あなたには親切にしたはずです あなた
はしばしば私たちの代表になりましたが 心やすい
友人は何人いましたか 他人にそっと距離を置かれ
がちなあなたに 私は声をかけるよう努めていたの
です ですからここではあなたになります

では私は何をすれば と私は訊いた 特徴の掴みに
くいその人は言った あなたはただここに潜んでい
る ここに籠っている ベンチに座り 振り子にな
って時をしるす 何かを考案する それは許されま
すが 自分で行動してはなりません あなたが表に
立つとうまくいかないのです あなた以外の人たち
になぜか争いが起こるのです あなたに代わって私
が外に出ていき 人と話をし署名しお金を動かしま
す どこかにあなた本人がいて 企ての連帯責任者
であると仄めかしてはおきますけれど

あなたは中性だそうですが ここではそれも無意味
です 私はあなたとして 風の吹く日にはポルナレ
フを聞き 涙をこぼすことでしょう あなたに あ
の人と呼びうる人がいるとすれば その人のことも
思い起こします ほんの数ブロックを共に歩いたの
でしたか 十七歳のころ ささやかな思い出には花
をひと束捧げたくなります あなたが行かない故郷
の海へは私が出かけましょう このくすんだ私が
あの頃のあなたへの賛辞を聞くことができるのはこ
の上ない喜びです

平板な顔つきをしたその人は 私の手帖を持ってい
て 携帯電話をいじりながら 語りかけるのをなか
なか止めない 私にも携帯電話があった あれがあ
れば ようやく私は発信を思いついた だが私の携
帯電話は 既にその女の人の手にあるのだった

荻悦子(おぎ・えつこ)
1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です