シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(4)

大学卒業後、京都と芦屋で中川牧三先生、東京で森敏孝先生に師事していた頃、ベッリーニの「マリンコニーア」という曲のレッスン時に、森先生から半音高く移調することを要求された。
*Malinconia,Ninfa gentile (やさしいニンファのマリンコニーア)・・・Malinconia=憂愁・・
使っていた教材はリコルディの原典版で、その曲の調子記号は♭が4つの短調(f moll)、
日本版(全音楽譜版)では、♭1つの短調(d moll)・・・原典版より短3度低い
先生に要求された調子は、原典版より半音高いfis moll(シャープ3つの短調)
原典版の醸し出す、妖精の持つ不透明な柔らかい世界が移調により明るくシャープな現実世界になってしまう。この移調では全く歌いづらいことこの上なかったことが、後々まで記憶に残った。
(たった半音の音高差なのに)・・・平均律で調律したピアノでこのように感じるのは、???

声楽を演奏する時、オペラアリアの移調はやらないが、歌曲の移調はよくおこなわれる。
今回の曲の移調も先生がステージで歌われる時は音を高くされるためで、理由はテナー歌手として派手な高音部をより魅惑的な声量の声で歌えるから。同じ舞台に立つ誰よりも華やかな声で目立たなければ主役の価値がない、との仰せ。この場合は、常に歌い手が舞台で光り輝く為の手法の一つとしての移調である。

先生はオペラの舞台が多いので、歌曲でもステージに立った時を想定して、他の歌手の力量に負けない演奏をすることが身についておられたのだが、半音変えるだけで曲のイメージがガラッと変りこうも歌いづらいのでは、まだまだ技術不足、この曲を人前で競演するのは止めておく事にした。

これらの経験で移調による不思議さとシューベルトの『美しき水車小屋の娘』と『冬の旅』の移調譜での演奏に違和感がある、という疑問をピアノのレッスン時に武井博子先生にいつも喋っていた。

ある時、武井先生は音楽学者のブリーゲン先生の生徒の卒論指導を受け持たれた時に目にされた本を、私に紹介してくださった。
それこそが、『ゼロ・ビートの再発見~平均律への疑問と古典音律を巡って~』上下(著:平島達司、東京音楽社 1987)という本であった。

「彼の環境の特異性はシューベルティアーデであり、あまりにも有名な梅毒という病気である。」
前回、そのように述べたがそれはシューベルトの精神に関る特異性であって、長い間の移調奏における私の疑問とは、声楽を勉強する人間としての音そのものへの疑問であった。

シューベルトの歌曲の世界を知るためには、友人達や時代環境だけでなく、奏でられる音そのものから受ける響きを通じても検証しなければならない。

シューベルトが創造した音が、今我々がピアノで弾き歌う音と違っていたとなると、そこに表現された音楽の精神までもが再確認の必要性が出てくるのである。その為、次回はもう一度シューベルトが使っていたであろうピアノの音律の確認をしたいと思う。

~つづく~

 杉本知瑛子
大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。
中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:
イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。
また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です