大学へ人って、いきなりアイスホッケー部に強姦されてからの恐怖の日々は、ボクの精神生活を根底からかき乱した。生まれて初めて母親のオッパイを離れたショックも大きかったのだろうし、あるいは慣れぬ自炊生活にも原因があったかも知れない。入部して間も無く、ボクは重度の貧血症に陥った。赤血球が320万個/立方ミリと男子正常値の500万個には程遠く精密検査の結果、栄養失調による貧血と診断された。実際、青白いボクの肌 には、青春のシンボルであるニキビさえ遂に咲くことはなかった。

「これでようやく辞められる…」こみあげる喜びをグッとこらえながら、「残念ですが:」ボクは、重度貧血の診断書を、当時のマネージャーであった富岡先輩に恐る恐る手渡した。少しのやり取りの後、「ま、休み休みやればいいから」と、結局はあの優しそうな目に射すくめられ、ボクはそれ以上の言葉を返すことが出来なかった。

と言うのは、これ以上突っ張れば富岡先輩がどんな仕打ちに出るか、辞めていった仲間達から散々聞かされていたからだ。この時だって、部室に入る前からボクの小さなおキンキンは吊り上がり、ノドはカラカラ、脂汗タラタラだった。とにかく富岡先輩にはよく殴られた。先のような事情で、ボクは存在感も薄く、何事も控えめにやっていたのだが、事ある毎に連帯責任と称して一年生ばかり横に並ばされ、親にさえ殴られたこともないこの顔を、グラブをはめた手でこつぴどくシバかれた。

「パン、パン、パーン」速射砲の様に繰り出されるショートストロークの往復ビンタ、それは芸術的とさえ思えるほど鍛練されたものであった。ヨロけそうになるのを必死にこらえながら、「せ、せめてボクだけでも人道的に生きるんだ…。」胸の中でそう呟くのが精一杯の抵抗だった。

一時の温もりを求めて郷里に帰っている者に対してさえ、練習のある日には電報を打ってでも呼び戻す。そんな強引な統制に耐え兼ねて、十三人の仲間は夏が過ぎる頃から櫛の歯が欠けるように次々と辞めてゆき、一年の冬の合宿が終わった頃には、結局ボク等三人だけになっていた。

いい奴も居たし、いろいろ相談も受けたが、ボク自身まるでクラブに魅力を感じていなかったので、ついつい相槌を打ってしまい、却って本人の決意を固めるだけの結果となってしまった。マージャンや女に狂って辞めていった奴も中にはいるが、切り詰めた生活費の中でナンバまでの定期代はいかにも痛かったし、なによりも四時限目の授業をサポってのスケーティングは、ボク等真面目な学生には到底ついて行けなかった。

「辞めます!」の一言を毅然たる態度で言い切れるかどうかがボクと彼らとの差であった。実際、あの中で一番辞めたかったのはボクの筈だった。「大学生活に於けるエトスとパトスの問題に付いて」、或いは「クラブ活動に於けるSeinとSollenの矛盾的統一に付いて」…日々悶々…  嗚呼、ボクはもう発狂しそうだった。今日こそ言ってしまおう!鏡の前でボクは幾度となく繰り返した。「辞めます!ヤメマス…。」しかし、その都度あの恐ろしい鉄拳制裁が脳裏をかすめ、たちまちにしてボクの決心はグラついた。

絶望の淵に立って、この頃、ボクは誰とも口を聞かなくなった。晩練帰りの終電車も仲間と離れて別の車両に独り立った。窓ガラスに映る生気のない自分の顔が情けなかった。天下茶屋を過ぎた頃に見える線路沿いの木賃アパート「幸福荘」の看板がいつも涙で歪んで見えた…。

展望の無いままズルズルと惰性に引きずられ、まさに腐れ縁の二年間であったが、毎日リンクに通ううちに、いつしかボクはフィギアのおネエちゃんの視線を背中に感じるようになっていた。それは冷たい氷の上で感じた久々の暖かさであった。悶々とした憂欝な日々と、擬似同性愛的ヒエラルキーの中ですっかり忘れてしまっていたのだが、もともとご先祖様もその方面にはお達者であらせられたということだし、ボク自身、容姿も並み以上のものを持っていることは、物心付いた頃から既に自覚としてあった。

「リンク内における対女性関係は、一切これを禁止する…」部則に確かそのような文句があったようにも思うが、三年ともなれば俄然余裕も出てきて、怖いものは最早何も無かった。それからというもの、ボクは唯ひたすらイメージの中て、「華麗に、華麗に」と滑ることを心掛けた。

勿論、いつも彼女の視線を背中に感じながら…。もう、リンクに通うことも苦痛ではなくなったし、人より少しでもカッコウ良く滑ることが出来さえすれば、その日はもうそれだけで十分にハッピーだった。不思議なことにカッコウをつけて滑っているうちに、いつの間にかスケーティングが速くなった。そればかりか、あれほど苦手だった陸トレまで軽くこなせるようになってしまった。

自信とは恐ろしいもので、それからのボクはますます大胆になり、少し手を伸ばしさえすれば欲しい物は何でも手に入る様な気持ちになっていた。三年も終わり頃になるとバイトの要領も覚え、懐具合もそれなりに潤沢になって、新しく六畳の下宿に移ったのだが、ほどなくその広い部屋の壁が彼女達からのプレゼントでビッシリと埋まってしまった。

量的な変化は、質的な変化を伴う。長い長いトンネルを越え、醜いアヒルの子はいつの間にか白鳥になっていたが、それからの学生生活はアッと言う間に終わってしまった。OBになってからも少しの間コーチをやらせてもらった。ボクの目はどうしてもアヒルの子にゆく。いつまでも首をすくめたままで生きるのか、それとも勇気を出してチョット背伸びしてみるか。元気だから大きな声がでるのではない。大きな声をだすから元気そうに見えるのだ。悲しいから涙を流すのではない。涙を流すから悲しい気分に浸れるのだ。

(了)

昭和41年入部経済学部卒 土谷 重美

土谷(4年)
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GK(3,4年)  3年冬 4年冬
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