「北米大陸横断道路ルート66単独ドライブ」 7

セントルイス〜オクラホマシティ

日本の25倍の広さを持つアメリカを車で旅するなら、全米を網羅する高速ハイウエー「インターステイト」が効率的だ。早いだけでなく日本の様な高額な料金もいらない。

アメリカでは、このハイウエーと大都市を走る高速道路を合わせた総延長が約9万kmもある。そのうち有料道路はわずか約6千kmで、割合は6.5%にすぎない。有料道路は主に東の都会周辺に集中し、料金も日本より格安である。私は中部と西部地区を約6000km走ったが、支払ったのはサンフランシスコでの5ドルだけだった。荒野のど真ん中を貫く道には、日本のような莫大な建設費用は不要だったのだろう。

私は時間の余裕をみながらハイウェーを降り、過去の郷愁として今も人気のある「ルート66」を走った。小さな町や農場や野や山を越え、人々の生活を感じながら走ると、それが本来のアメリカの姿なのだと思えて来る。そんな中に朽ち果てた昔のモーテルやガスステーションがひっそり佇んでいる。廃業して既に20年以上は放置されているだろう。その度に車を止めて昔の賑わいに思いを馳せた。

オクラホマの小さな町にダイナーと呼ばれる昔ながらのレストランが今でも営業していた。立ち寄ると、映画「アメリカングラフィティ」で見たような光景がそこにあった。長いカウンター席と、赤いビニールシートのボックス席が整然と並び、大きな皿に山盛りに積まれたポテトと野菜を前に、ハンバーグを頬張るトラックマンや地元の人々がいる。テーブルに腹がぶつかる程のおデブな親爺が、大きなカップの牛乳をゴクゴク音をたてて飲んでいる。

私がC&W(カントリー&ウエスタン)やアメリカンフォークに親しみ、アメリカに憧れた10〜20代の頃の記憶に残る風景がそれなのだ。

カウンターに座ると皆の視線が一斉に私に集中した。「日本から来たんだ。一人でLA、そしてシアトルまで走る」そう云うと皆一斉に歓迎の奇声を上げた。年配の親爺さんが「俺はフラッグスタッフから先へは行った事がないよ、それに日本人を近くで見たのも初めてだ」と云いながら私の隣りに座った。「でも俺はこの町が一番好きだ。皆家族のようだし、ここへは毎日くるよ」と。それは日本の報道で見聞きする、ワシントンやニューヨーク発信のアメリカ情報とは、全くかけ離れた田舎の人々のおだやか生活がそこにあった。

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