「北米大陸横断道路ルート66単独ドライブ」8

シカゴからセントルイスへはインターステイト55号で約300マイル(480km)。約5時間かけてたどり着いた。町外れのモーテルは一泊45ドル。円高で4000円に満たない。田口の活躍する大リーグ「カージナルス」の本拠地で、市内にあるスタジアムの大声援と灯りに誘われて私は7回表から観戦した。外野席の入口で「チケット売り場はどこ?」と尋ねると「もういいから入れ」と係のおばさんに笑顔で肩を押された。野球好きは野球好きに優しいんだ。どでかい球場のスケール、そしてイニングの間一時も観客を飽きさせない演出。正に野球大国、いや天国だ。

翌日はオクラホマシティまで約500マイル(800km)。ハイウェーは広く真っすぐ南西に伸び、大平原を無数のトレイラーをかき分けてただひたすら走った。

オクラホマ州はインディアン「チョクトー族」の言葉で「赤い人々」を意味する。この州は19世紀に、インディアンの人種隔離を掲げたジャクソン大統領の民族浄化政策「インディアン移住法」で、全米のインディアン部族のほとんどを強制移住させる目的で作られた州である。

私が若い頃見たウエスタン映画に登場したインディアン「アパッチ、プエブロ、コマンチ、シャイアン部族」等は、白人の敵として描かれていたが、実際は白人のエゴにより、近代化の名のもとにインディアンの人権を踏みにじてきたのだ。その見返りに今でも生活支援や観光事業への優遇措置などを与えている。

オクラホマシィティ中心のビル街は、一日歩けば一周出来る程の広さで、野球場「ブリックタウン」と、町の景観目的で作られた運河周辺のレストランや

ショッピングセンターが市民の憩いの場となっている。なかなか住み易く楽しそうな町だった。

宿泊した町外れのモーテルは50ドル。自動車社会のアメリカはどこへ行ってモーテルが軒を連ねる。全米にチェーン展開するモーテル6、デイズイン、スーパー8モーテル、クオリティーイン等数多い。コンフォートインも有名で、このホテルは数年前から日本各地に格安のシティホテルとしてフランチャイズされており、私は出張で何度か利用したが快適だった。

オクラホマからテキサス州に入ると景色はますます地平線に伸びる平原が続いた。車内はクーラー全開だが、強烈な太陽がハンドルを持つ半袖の左手を焼き焦がす。腕時計の部分だけ真っ白に残り、夜のシャワーは冷水でないと絶えられない程に焼けた。

インターステイト40号を西へ直進する単調な運転で睡魔が襲い始めた頃、前方左手の平原にお目当てのオブジェが表れた。アマリロの億万長者の作品で、キャディラック10台がフロント部分を畑に埋めて斜めに立っている。これが有名な「キャディラック・レインチ」だ。整然と並んだキャディラックは全身カラフルにペイントされ、大平原のモニュメントと化していた。

夕方8時、前方の空が夕陽に染まり始めた。車を止めて外へ出ると、地平線へ続く道にヘッドライトと赤いテールランプの行列が続いた。目的地サンタフェはまだ250マイル先だ。荒野の夜間走行は危ないので街道沿いの小さなモーテルに入った。

テキサスの荒野にもモーテルが

シカゴでレンタルした車は韓国製のヒュンダイ。日本でネット予約の際、シアトルで乗り捨ての費用も含めてとにかく安く手配。

その結果、中型で窓も鍵も手動だ。しかし昨年のバイクと違い荷物が沢山積める、二輪と違い転ばない(当たり前)。高速運転はやや不安定だが、街に入ると運転や駐車が楽だった。

シカゴを経って3日目の夕刻、既に1000マイルを走りバテていた。まだ250マイル:400km先のサンタフェは明日にして、テキサス北部の人口500人程の小さな集落、グルームの10室程のモーテルに入った。一泊40ドル。主人の爺さんが「日本人は10年振りだ」と大げさに握手を求めた。後で奥さんに聞くと、1年前に日本人夫婦が泊まったと云う。歓迎してくれてるんだからいいけどね(笑)。

夜中にベットの下がガサゴソ音がする。まさか、と冷や汗をぬぐいながらゆっくり起きた。サソリか?コブラか?電気を付けて恐る恐る覗くと、小さなカエルだった。灯りに誘われてピョコッと出て来た。一人ぽっちの私を慰めるようにつぶらな目で私を見上げた。しばらくベットで遊ばせたが、もうカエルと云ってドアーの前に座り込んだ。寂しくなるが私はドアを開けて逃がした。

外は真っ暗、数百メートル離れた高速道路を一台のトレーラーが通り過ぎた後は、虫の音すら聞こえない静寂。見上げると夜空に満天の星。私は道路に放置された古いソファーで、夜空を見上げながら一服吹かした。私はそんなひと時が好きで旅に出る。

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