天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その7

  • 洋行前

中学から京都の同志社へ(賛美歌=歌=を歌いたくて同志社を選ぶ)、しかし兄上が二商(現在の北野中学のところ)の卒業生のため一年で二商に転校させられる。

二商の校長大沢渚によるアメリカの教育方法により英会話(イギリス人宣教師ミス・ソーターの授業)を習得、ミス・ソーター(ロンドン王室音楽学校のバイオリン科卒業)より師宅にてバイオリンの個人指導を受ける。

また同時に師宅でお茶のマナーとかフォークソングなども教えられる(大正時代半ばの話である)。

(この頃、中川先生は京都で同好の士を集め二商の雨天体操場で仲間とバイオリンの練習を始める)

大学は同志社に入り、賛美歌会で神学館にいたアメリカ人のシャイベリ先生といつも一緒に歌う。

又「京都公会堂」での「同志社イブ」でバイオリンのソロ演奏を行いその後オーケストラをつくる。

(京大にはすでに京大オーケストラがあったので同志社でも、と真似をされたそうである)

オーケストラに必要な楽器は全て京都の十字屋に頼み揃えるが、お金だけでなく準備等の負担も大きく勉強の時間が無くなり

「こんなことではいかん。一年志願兵に行け」と父上より命じられる。

福知山の20連隊に志願兵で行く。

軍服でダンスホール(当時の社交場)に出入りするが、そこで谷崎潤一郎(1886~1965)、白洲正子(1910~1998)等とも知り合う。

除隊後は同志社に戻らず会社勤めをするが音楽への思いが断ち切れず、近衛秀麿氏(1898~1973)に「ヨーロッパに連れて行ってくれ」と頼むことになる。

(次号へ続く)

杉本知瑛子

大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。

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