・欧州留学

バイオリン留学:昭和5年(1930年)近衛秀麿氏と共にシベリア鉄道でヨーロッパへ渡る。

先ず、ベルリンでは一番偉い先生カール・フレッシュ(1873~1944)に師事するがアドルフ・ブッシュ(1891~1952)の演奏を聴いて驚きバイオリンの勉強を断念する。同じ時期にカール・フレッシュに師事していた喜志康一(1909~1937)も日本との演奏技術の格差にひどいショックを受けバイオリン(音楽そのもの)をやめてしまったそうである。

声楽のワイゼンボーンやバイオリンのカール・フレッシュは厳しい方だったようで、ベルリンでは「悲嘆のどん底」だったと述べられている。

同行された近衛秀麿氏は元首相近衛文麿氏の実弟で貴族院議員、当時は指揮者としてすでに成功を収めていた。近衛氏は山田耕筰(1886~1965)氏と一緒に新交響楽団を創設して指揮者に就任済。

船だと40日かかるがシベリア鉄道だと韓国の釜山からベルリンまで13日で行ける。

それで近衛氏がベルリンでフルトベングラーの指揮を見たいとの事で鉄道に決まったが、片道のシベリア鉄道に乗るだけで近衛氏との二人分で21万円かかったとのこと(1階に3間2階に2間あるきちんとした借家の家賃が5円の時代である)。

それで着いた翌日フルトベングラーの演奏を聴くことができ、十数日前に近衛氏が東京で振ったばかりの曲との違いに驚愕される。

近衛氏が東京で振った曲との違いの秘密を、是非に知りたいと思い、お二人はフルトベングラーに会いに行かれる。

彼が楽譜に全部自分でハーモニーを書き足していたことを知られるや、彼の楽譜を全部借りお二人で全て写し取られたのである。

後日エーリッヒ・クライバー(1890~1956)やクレンペラー(1885~1973)等からも彼等の譜面を快く貸して頂けたとのことである。

そんな時ベルリンにイタリアのテノールが来て歌うのを聞かれ、その声に驚愕、是非ベルカント(bel canto)の秘密を知りたいと思われ、ベルリン滞在1年数ヶ月でイタリアのミラノへ移動される。

・オペラとの出会い

ミラノへ着いたその晩、近衛氏と二人でスカラ座でヴェルディの『リゴレット』を観劇。

近衛氏はドイツのオペラとは全く違うイタリアオペラに感動され、
「日本にはまだこういう立派なオペラはない。何としてでも、これを日本に持って帰れ。君ならやれるから、そのまま持って帰れ」
と言われる。

中川先生でなくとも誰でも無理と思うことである。独唱、重唱、合唱、オーケストラ、芝居、バレエまで全てである。

「そんなことはとってもできない。一人でやるなんて無理です」
と答える中川先生に近衛氏は
「一人だからできるんだ。一人でやれ」
と命じられたのである。(次号へ続く)

 

杉本知瑛子

大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。

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