ボクが高校生の時、実家には山積みの下着パンツとゴムがあった。母の内職の材料で下着のゴム通しだ。報酬は定かでないが「1枚で1円」だったか。「あまりカネにはならんが、少しでも、ね」と母は下宿先から帰省したボクに笑って言った。

ボクは「すごいね。頑張ってるんだね」と口では言ったが、心の中では「パンツのゴム通しなんて(カッコ悪い)。夜なべをして手袋を編んでくれる方がまだいいのに」と思った。

母が94歳で逝ってしばらく後、遺品を整理していた兄から電話があった。タンスの奥底から現金書留が出てきた、差出人はお前(和文)だ、と言う。ボクが送ったままの状態で、お金も手付かずだったという。33年前のボクの初月給の一部で、エラソーに「好きなものでも買いなさい」というような内容の一筆も添えていた。母は後生大事にしまっていたのだ。

受話器を持つボクの手が震えた。昔 パンツのゴム紐通しをしていた母へ、感謝のかの字も言わないどころか、恥ずかしいとまで思っていたのだ。しかも月給とりになったら“上から目線”でカネを送っていた。

ボクは中学卒業まで母親と同じ布団で寝た。この話をするとたいていの人が「なんだよ、お前、恥ずかしくないのか?」と笑う。上の兄たちは母親が次々弟を生むこともあり、母親に抱かれて眠ることはなかったろう。その分、末弟のボクが母親の愛を独占したことになる。末っ子十男の特権だ。

「ヰタ・セクスアリス」風に言えばボクが性に目覚めたのは高校生だったから、中学まで母と寝ることが恥ずかしいとか違和感はなかったのだ。それより母のゴム通し内職に対するボクのちっぽけな心の方が、もっと「さもしく恥ずかしい」ことだった。

(吉原和文)

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