シンゴ旅日記ジャカルタ編(8) 散歩しながら考える(ダンドゥット)の巻
散歩しながら考えるの巻 ダンドゥット (2017年3月記)
ジャワ島の中東部にヒンズー教のモジョパヒド王国(1293年~1478年)がありました。
王国は第4代ハヤム・ウルク王の時に最盛期を迎え、時の宰相ガジャ・マダの功績によりその版図はジャワ・バリを越えて、ラオス・カンボジア辺りにまで影響を与えたと言われています。
この王と宰相の名前はインドネシア各地の建物や通りの名前として今でも残っています。
ジョグジャカルタの名門国立大学名もガジャ・マダですし、ジャカルタの昔の中心地であるコタの2本の通り名には、ハヤム・ウルクとガジャ・マダの名前が付けられ運河を挟んで並行に走っています。
宰相ガジャ・マダ(怒った象の意)は1331年、宰相に就任する時に、黄金のクリス(短剣)を天にかざし、「パラパの誓い」を神に対して行いました。
その「パラパの誓い」とは「インドネシアのすべての地を征服するまでは、私は一切の贅沢や娯楽を絶つ、結婚もしない」と宣言した誓いのことです。
1976年にこの「パラパ」の名前をつけた通信衛星がインドネシアから打ち上げられました。
ソ連・カナダ・アメリカに続いて世界で4番目の打ち上げであり、日本の実験用放送衛星「ゆり」より2年早いのです。
また、インドネシアの初代大統領のスカルノも自分自身がガジャ・マダの生まれ変わりだと信じていたそうです。
そしてスカルノはガジャ・マダ由来のクリスを所持していたと言われています。
でも、ジャカルタ、バンドン地域のスンダ人は、このガジャマダに征服された側なのでこのモジョパパヒド王国やパラパの誓いを心良く思っていないようです。
前置きが長くなりました。
ある朝、森林浴しながら歩いていると、数人の若者が同じ黒い地のTシャツを着て道路の傍らに群がっていました。
近づいていくと、カメラを地面に置いて全員の記念写真を撮ろうとしているのです。
彼らに「皆さんは学校の生徒ですか」と聞くと「SNP」「ダンドゥット」という言葉が返ってきました。
ダンドゥット(Dangdut)とはインドネシアの大衆歌謡でロック音楽に民族楽器や電子楽器を使って歌うダンス音楽のようなものです。
「SNP」とはなんですか」と聞くと、「Saudara New Pallapa」の略だというのです。
つまり、彼らはパラパの名がつくSNPというグループのファンだったのでしょうね。
私はそんな若者に誘われ一緒に写真を撮ってもらい、またお返しに若者たちの集合写真を撮ってあげました。
SNPのSaudara New Pallapaとは「新しいパラパの仲間」といった意味となるのでしょうか。
SNPの名前が日本のSMAP似ているので、SMAPの名の由来も調べると「Sports Music Assemle People」 の略で、その前身であるスケートボーイズのキャッチコピーだったそうです。
インドネシアの音楽というとジャワやバリ島のガムラン音楽、「ブンガワン・ソロ」で有名なクロンチョン、そしてダンドゥットなどがあります。
そして、私が知っているインドネシアの歌と言えば、「ブンガワン・ソロ」「ノナマニス(可愛いあの娘)」そして「モスラ」です。
ブンガワン・ソロはそんなに難しい単語がありませんし、メロディもゆったりしているので、声楽家の秋山雅史の真似をしてオペラ風にして歌うとインドネシア人のスタッフや運転手に受けます。
このブンガワン・ソロは戦時中にインドネシア各地を巡回した小説家の林芙美子の小説「浮雲」(1953年発表)が1955年に映画化され、その一場面に流れていたような気がします。この映画は監督は成瀬巳喜男の名作と言われ、主演は高峰秀子で、森雅之が自堕落な男を演じていましたね。
小津安二郎(1903年~1963年)の映画「秋刀魚の歌」(1962年)の中にもブンガワン・ソロのメロディが流れます。それは主人公(笠智衆)が軍隊時代の部下(加藤大介)に偶然に再会し、二人で行くスナックを描写するときにブンワン・ソロのメロディが流れるのです。そして、スナックの中では二人がウィスキーを飲みながら戦争についての会話が続き、お店の人に「軍艦行進曲」のレコードをかけてもらうと、部下が敬礼のポーズで踊りだし、主人公が返礼をする場面があります。
なお、小津安二郎は「自分にできないシャシンは溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だけだと」語ったそうです。
ノナマニスは「可愛いあの娘は誰のもの」そしてインドネシア語の「ノーナ・マニス・シアパ・ヤン・プーニャン」という二つのフレーズが繰り返えされる印象的な歌です。
この歌はインドネシア東部の島々であるマルク地方の民謡でした。
日本では最初に高木義夫の訳詩でボニージャックスが歌い、そして、昭和40年に西沢爽作詞、遠藤実編曲で、「青春の城下町」のヒットを飛ばした梶光夫(1944年~)が歌いヒットしました。
その西沢爽の作詞の歌の一番は次のとおりです。
可愛い あの娘は誰のもの 可愛い あの娘は誰のもの
可愛い あの娘は誰のもの いえ あの娘はひとりもの
今日(こんにち)は娘さん お話しましょう 恋人はいないの 淋しかないの
恋をするなら 若いうち いいえ あの娘も 若いうち
ノーナマニサバ ヤンプーニャン ラササーヤ サーヤゲン
この梶光夫の歌の「今日は娘さん、お話しましょう、恋人はいないの、淋しかないの、 恋をするなら 若いうち、いいえ、あの娘も 若いうち」の部分を、高木義夫氏の歌詞は元の詩に忠実に訳しています。それは「かたつむりはどこから 川からたんぼへ 恋人はどこから目から心へ 」というものです。
その文章はインドネシアでは韻を踏んでいるのです。
Darii mana datangnya lintah dari sawah ke kali
Dari mana datangnya cinta dari mata ke hati
上の段のlintah(リンタ、かたつむり)が下の段のcinta(チンタ、愛)に、上の段の sawah(サワ、たんぼ)が下の段のmata(マタ、目)にそして上の段の kali(カリ、川)が下の段の hati(カリ、心)と韻が同じなのです。
あれっ、上段の原文は「たんぼから川へ」となっていますが、訳詩は「川からたんぼへ」と逆になってしまいますね。
そして「モスラ」です。1961年(昭和36年)の東宝映画です。日本に拉致された南の国インファント島の小美人双子(ザ・ピーナッツ)を救おうとする怪獣モスラの物語です。
その映画の中でザ・ピーナッツが歌う「モスラの歌」があります。
この歌はインドネシア語なのです。作詞は由紀こうじ、作曲は古関祐而です。
最初は中国語で作る事も考えられたようですが最終的にインドネシア語に決まりました。
この「モスラの歌」のインドネシア語の歌詞を会社のインドネシア人の部下に見てもらいました。
すこし古い表現があるようですが、儀式に使うような固いインドネシア語だそうです。
でもyoutubeで観てみるとザ・ピーナッツは映画の中で、一番だけを何回も繰り返しているのです。
Mothra Ya Mothra, Dengan Kesaktian Hidupmu
Restula Doa Hamba-Hanbamu Yang Rendah
Bangunla Dan tunjukanlah Kesaktianmu
Mothara Ya Mothra Dengan Hidupmu Yang Gemilang
Lindungilah Kami Dan Jadila Pelindung Perdamaian
Berdamaian Adala Hanya Jadilan Yang Tinnggal Bagi Kami
Yang Dapat Membawa Kami Kekemakmuran Yand Abadi
このモスラの歌の和訳は次の通りです。
「モスラよ モスラ、あなたの命の魔力で
身分卑しき あなたの下僕は 呪文を唱えて祈ります。
どうか立ち上がってあなたの魔力を見せてください。
モスラよ モスラ、光り輝かうあなたの命で
平和をもたらす守り神となり われらを守りたまえ
平和は、われらに残された生きる道
永遠の繁栄に我らを導き給え」
モスラはゴジラ、ラドンとともに東宝三大怪獣と言われています。
モスラ(Mothra)の名の由来は蛾を意味するMothと母親を意味するMotherとを掛け合わせたものです。あれっ、これも韻を踏んでいるんですね。
インドネシア人と日本人は同じような韻を踏むセンスがあるのでしょうか?
このモスラの脚本を書いた関沢新一と宮崎駿はお互いに高く評価し合っていたそうです。
そして、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」のオーム(王蟲)がモスラの末裔だと述べているそうです。
ゴジラやモスラ、それにマタンゴなど東宝の怪獣映画は南洋を舞台にしたものが多いですよね。
太平洋戦争で南方に行って帰ってきた人たちが脚本や映画製作者に多かったのでしょうか。
それともお盆に公開する映画だったので戦争やホラーものが好まれたのでしょうか。
はい、みなさん、こんばんは、この映画、怖かったですねぇ。
「マタンゴ」ですよ。キノコを食べた人間がキノコになってしまうのですよ。
怖いですねぇ。私はこの映画を観てしばらくはシイタケやマツタケを食べることができませんでした。そして、はい、この映画はなんとあの加山雄三の「ハワイの若大将」と同時上映だったんですよ。
はい、次です。南方の活劇といえば怪傑ハリマオですねぇ。
スカッとしましたねぇ。
いかにも悪人のお顔をした西洋の人をバンバンやっつけてしますのですねえ。
主題歌をあの三橋美智也さんが歌っているのですよ。
出だしからの高音が素敵でしたねぇ。「♪まぁ~かな~太陽~♪、燃えている~♪」
あっ、大変失礼致しました。
はい、お時間が無くなりました。
それではみなさん、さよなら、さよなら、さよなら。
丹羽慎吾