アクラ

アクラ訪問記
野口英世最期の地アクラ訪問記(6)

6.おわりに 今回、実際にアクラを訪問して感じたのは、現地の気候と生活環境の厳しさである。英世が滞在した1927-28年当時は、クーラーはなく、水や電気の供給も十分ではなかったはずだ。さらに、英世の51歳という年齢(現在 […]

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アクラ訪問記
野口英世最期の地アクラ訪問記(5)

3)リッヂ病院 (Ridge Hospital) 1928年5月、野口英世は、アクラでの研究を終えニューヨークへ戻る前に、ロックフェラー財団のラゴス本部へ顔を出すことにした。ラゴスは、西アフリカ最大の都市で、現在はナイジ […]

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アクラ訪問記
野口英世最期の地アクラ訪問記(4)

2)コレブ病院 (Korle-Bu Teaching Hospital) コレブ病院は、1926年、当時の英領ゴールドコーストに住む現地人のための病院として設立された。 写真3 衛生検査技師養成 設立時の名称は、ゴールド […]

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アクラ訪問記
野口英世最期の地アクラ訪問記(3)

5.アクラにおける野口英世の足跡 1)ジェームスタウン(Jamestown) 1927(昭和2)年10月22日、野口英世はアメリカ客船スキシア号に乗り、ニューヨークを後にした。スキシア号は、アクラ行きの船の乗り換え地であ […]

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アクラ訪問記
野口英世最期の地アクラ訪問記(1)

1.アクラ訪問への逡巡 野口英世とジョン・D・ロックフェラーの取材のため、三浦基弘前編集長とともに、アメリカ東海岸を旅したのは昨年5月。この旅の終わりに、「今度は、野口博士が亡くなったアフリカに行ってみましょう」と、三浦 […]

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