福澤諭吉
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その3
(前号から)この逸話を私がおもしろいと感じたのは次の逸話を思い出したからである。 それは、音楽の恩師で日本イタリア協会会長だった(故)中川牧三先生が若い頃、作曲家の近衛秀麿氏と一緒にヨーロッパを訪問されたときのことだった […]
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その2
(前号から)諭吉は兄の供をしての長崎遊学(1年間)で初めてオランダ語の原書を読む。 「私は、オランダ医学の先生の家に通ったりオランダ語通訳の家に通ったりしてひたすら原書を読んでいた。原書というものは初めて見たのであるが、 […]
福澤諭吉、大隈重信と伊藤博文
NHK連続ドラマ「あさが来た」の放映時、毎朝楽しみに物語を追って観ていた。 このドラマでは江戸から明治にかけての貴重な歴史的事件や人物が扱われ、大いに興味と関心をそそられたものだった。 ドラマには福澤諭吉も登場した。一方 […]
福澤諭吉と英語(4)
前号では Society の翻訳語として、当初福澤諭吉は「人間交際」という訳を当てたと書いた。 当時、Society に対応する言葉がなく、これを日本語に訳出することは相当な困難があった。その状況で、「人間交際」という翻 […]
福澤諭吉と英語(2)
福澤諭吉に関する研究、書物は巷にあふれている。それだけ魅力ある人物像であり、幾多の業績を残したからに他ならない。 筆者が興味を覚えるのは次のことだ。 福澤諭吉は英語をどう捉え、どう取り組んでいったのか。 福澤は欧米を視察 […]
明治十四年の政変と福澤諭吉(2)
(前稿から続く) ◆『明治十四年の政変』の顛末 明治維新以後、全国各地で明治政府に対する反乱として「佐賀の乱」や「萩の乱」などが勃発したが、明治10年「西南戦争」を最後にその勢いは収束した。 福澤諭吉は明治12年、「国会 […]
明治十四年の政変と福澤諭吉(1)
2013年6月初旬にロンドンに旅行する機会を得た。ロンドン再訪は十年ぶりのことだ。(それから毎年のように訪れることになるのだったが。) 訪問に先立ち、英国の歴史、文化などをおさらいした。旅をより充実させたいと思い、旅程に […]
福澤諭吉作と言われる「脱亜論」考
「脱亜論」は、新聞「時事新報」紙上に1885年(明治18年)3月16日に掲載された。巷間、福澤諭吉が述べた論説と流布されているが、その確証はなく、原文は無署名の社説である。 ただ、福澤が執筆したとみる向きも少なくなく、例 […]