金婚式を記念してエーゲ海・アドリア海の旅(その8)

(令和元年 10 月 29 日~11 月 4 日)

秋のエーゲ海・アドレア海 クルーズ体験記

12 月 6 日(金) コルフ島入港  12:30

朝の「クルーズプラネット新聞」に幾つかの世界での出来事が書かれていた。キャビンのテレビ

でNHK やBBC などの番組が視聴できる筈だが、うまくチャンネルを合わさることが出来ずにテレビは全く視聴しなかった。世の中の出来事はこの新聞を見て知った。

12 項目の見出しがあったが、目を引いたのは

①    フランス全土で80万人のデモ「年金改革反対」交通網マヒ
②  サウジアラムコ(サウジ国営石油会社)がIPO(新規株式公開)で 2 兆 7840 億円調達
③ 三菱 UFJ 銀行が年間 1200 円の口座手数料の導入を検討    などなどあまり心配するような記事は無かった。

今日はコルフ旧市街とアヒリオン宮殿半日観光(世界遺産)である。

☆コルフ島はギリシャで一番イタリアに近い島である。ギリシャではこの島はケルキラ島と呼んでいる。バスで 20 分程揺られた所に宮殿、アヒリオン宮殿(Acchillion          Palace)があった。オーストリアのハプルブルグ家の皇妃エリザベートが 1891 年に建てた宮殿である。先ず、2 階に上り、裏にある庭園を見て回った。ペリスタイルというギリシャ風の美しい柱が並ぶポーチがあり、ギリシャ神話の美しい女神像が並んでいた。中央部にはアキレスの彫刻(座像)があった。無敵戦   士「アキレス」が、唯一の弱点であった足首の踵(かかと)部に矢を受けて死んで行く像。(一番の弱点を「アキレス腱」という。)この彫刻は宮殿を代表するものだが、少し進んだところに「勝利を得たアキレス」像が立っている。この彫像はエリザベートの死後に、ドイツ皇帝ヴィルフェル ム 2 世が建てたもの。宮殿の中に入ると、きらびやかな絵画や装飾が沢山あった。

幾つかの部屋にエリザベートの肖像画が掛かっていた。絶世の美女と言われながらも不遇な宮廷生活を送った皇妃の愛称は「シシー」。

この宮殿の特徴の一つに、彼女が憧れていたギリシャ神話を描いた絵画や彫刻などが飾られていることである。

宮殿の見学を終わり、バスは海岸沿いに走り、コルフ旧市街に到着した。最初に目に飛び込んだ のは海に突き出した半島にある要塞(パレオ・フルリオ)で 8 世紀初頭のビザンチン時代に作られたもの。公園を抜けて街中に入るとここが「世界遺産」

このコルフ市街は、イタリアやスペイン、イギリスなど様々な国の支配を受けたので、それぞれの特徴ある建物が残っている。

☆コーヒーブレイク    アヒリオン宮殿(Achillion    Palace)

市街地から南へ 10kmのところに、1891 年建立のフィレンツエ風ルネサンス様式のオーストリア后妃エリザベートの夏の離宮がある。エリザベートは愛したギ  リシャの英雄「アキレス」の彫像があり、晩年は頻繁に訪れたと言われている。ハ プスブルク家650年の歴史の中で最も美しかったと皇妃エリザベートは古代と美しい海にあこがれを持っていて、療養を名目に豪華ヨットでケルキラ島(コトル島  )を訪れ、「アヒリオン」(アキレスの館)という名前の宮殿を建て、心を開放したと言われている。

時間があったので、デッキ13の屋外と屋内にあるプールとジャグジーに入ることにした。外気が少し寒いので流石に屋外で入っている人はいなかった。キャビンに備え付けのバスタオルを羽織って、先ずジャグジーに入ろうとしたら、監視員に注意された。

ジャグジーは 4 人しか入れない規則である。子供一人と三人の大柄の老婦人が所せましと横たわっていた。2 人だけが入っていた向かいのジャグジーに浸かったが、温まるにはぬるま湯だった。余り大きくない長方形のプール、水深はかなり深い。4-5往復したが、本当の海水で塩気が効いて しょっぱかった。プールと称するにしては小さすぎる。クロールを数回したら、向こう側に着いて しまう。

小原一浩(おはら かずひろ)

1939 年大阪生まれ。
「NPO 法人ふれ愛さやま」事務局長
大学卒業後、メーカーに勤務し、インドネシア、大阪、東京、名古屋、滋賀県守山市での勤務を経て1999年定年退職。その後NPO 法人ふれ愛さやま、訪問介護事業所などを設立。大阪狭山市議会議員を2011年から2 期 8 年務める。
『人と違った生き方を!』(文芸社 2019 年)など5冊の著書がある。

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