女城主直虎の里を訪ねて

大きな被害をもたらした台風が一過したあと、次の台風が沖縄・奄美から九州北部に接近する中浜松へ出発。友人の写真展(個展)をお祝いするのが目的だがその序に井伊谷(いいのや)一帯を散策した。特に前調べもなしに急に思い立ったものである。宿泊地の舘山寺から龍潭寺(りょうたんじ)に直行した。(2018年10月初め)

昨年の大河ドラマ「女城主 直虎」の人気と共にこの地域一帯が大変な観光スポットになったことは承知している。お蔭で龍潭寺にさえ行けばすべての情報が手に入ると予想したが全くその通りだった。

駐車場はお寺の横にあるため正門を通らずに受け付け(有料)に直行した。入ればすぐに書院・庫裡が目に入り本堂のお参りを後回しに。まずお目に掛かったのが右の写真、そう直虎ご本人、更に作務衣姿の寺男さん。一見南渓和尚風情だが「私は子供のころ小僧としてこの寺に来た。お寺もすっかりさびれていた。テレビのお陰ですっかり様変わりした。」と先手を取られた。一応了解を得て写真を撮らせて頂いたのがこれだ。何となくどこかでお目に掛かった?そう、テレビの俳優さんに似ています。この像は最近のものです。他に井伊家24代直正公の像、伝来の甲冑赤備えなどの展示がある。

本堂は殆ど素通りで裏に回り江戸時代の名園と言われる庭園を眺める。音声の説明もありすっかり観光のスポットだ。二条城二の丸庭園などを手がけた小堀遠州による池泉鑑賞の庭園で国指定の名勝となっている。(写真の左奥に井伊家の御霊屋があるが目下改築中で幕が張られている)

本堂を出て左奥(北西)に廻ると井伊家歴代の墓所がある。歴代の住職の墓より上座にある。あとで分かったのだが写真の左側2番目の石碑が直虎の墓標。(正面右が井伊家発祥の人共保公≂1010年生誕の墓碑)井伊家は彦根と思っていたが確かに彦根にも歴代の墓がある。それにしても徳川幕府最後の大老井伊直弼の墓は不明だという。(一応豪徳寺となっているが疑問があるようだ)

この後東門、鐘楼、仁王門、大門と見学、まさに逆打ちと言う感じだ。

龍潭寺から100m位のところに井伊家発祥の井戸(上述の共保公生誕地)があることを知ってそちらに向かう。余り古いとも思えない石組の井戸だ。隣に橘の木がある。井伊家の旗が井桁で家紋が橘。

寺の北方山の麓の井伊谷城跡に向かう。標高僅か115m、麓からの歩行距離300m余り、だが勾配が極めて急で喘ぎながら登った。この城は直虎が城主を務めている間に2度奪われるが2度とも奪還するという波乱に満ちた舞台を思い直虎の苦労をしのぶ。しかしここからの見晴しは素晴らしい。井伊谷一帯を見晴らし直虎は自分の重い責任を感じたことだろう。だからこそあの荒波を乗り越え得たと思う。

城跡を降りたところに井殿の塚がある。直虎の苦労の始まりともいえる事件、彼女の許嫁の父直満とその弟直義の二人が家老の讒言で今川に誅殺され、許嫁まで身の危険を考えて亡命した。そして直虎が出家して次郎坊となった。殺害された二人の供養塔がこれだ。大きなタブノキが供養塔を守るように立っているのが印象的だ。

直虎が徳川との橋渡しになり徳川家と共に井伊家が栄えた。そして明治維新を迎え井伊直弼が維新の開国を進めるうちに暗殺され、徳川と共に滅んだといえよう。

雨が降ったり止んだりだったが何とか直虎の関連遺跡を回ることが出来た。そのあと竜ヶ岩洞(鍾乳洞)、そしてこんな山奥にと驚く壮大な古刹「大本山方広寺半増坊総本殿」を巡った。いずれも大変な観光スポットだった。

東 孝昭

(※注:写真はクリックすると拡大されます。)


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