「北米大陸横断道路ルート66単独ドライブ」2

<Route66>
 アメリカが自動車時代(モータリゼーション)を迎えた1926年、シカゴとロサンジェルスを結ぶ大幹線道路が建設された。それが米国大陸横断ルート66号線(2347マイル、3755km)。

 この道はゴールドラッシュの時代に西を目指して東から伸びた馬車の轍(わだち)に沿って造られたとも言われている?
 ルート66はシカゴからロサンゼルスまで8つの州、イリノイ、ミズリー、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアを走るアメリカの大動脈となった。

 スタインベックの小説と映画「怒りの葡萄」にも登場したこの道は、アメリカの母なる道「マザーロード」と呼ばれ、第二次大戦後のアメリカ経済に大きな影響をもたらした。
 ルート66は、長い間アメリカの象徴として存在したが、1956年、アイゼンハワー大統領が連邦補助高速道路法に調印し、全米に新たな高速道路(インターステイト)が次々に建設された。それにより1985年、この道はその役目を終え、地図上からその名「ルート66」が消えた。

 ルート66はその後、地域の人々の生活道路としてしっかり生きているが、町を離れると舗装は痛み、各所で寸断され、徐々にこの道は衰退していった。しかしこの道は今でも多くの人々の郷愁として語り継がれ、ヒストリックロード「Route66」として今でも世界中から走りにくる。「その一人が私であった」

 現在は行政や、この道の愛好家が保存活動として所々に66号の標識を立て、廃墟寸前のガスステーションやモーテルの看板を残す活動が続けられている。映画「アメリカングラフィティ」にも出てきたが、赤いベンチシートが特徴のロードサイドレストラン「ダイナー」は今でも所々で営業されている。

<73才のバックパッカー>
 私は高津区の小さな化粧品店の店主雑用係りとして毎日出勤。ゴルフや夜遊びはしない。その代り楽器をいじり、本を読み、バイクや車で気まぐれに走って全国の同業者をアポ無しで訪問しておしゃべりしている。さらに毎年夏は1ヶ月間バカンスで国内海外をバイクか車で気まぐれに旅している。今迄日本全国4周、中国シルクロード、韓国、欧米全土を走破している。
米国横断「ルート66」は2010年夏のドライブだった。

 シカゴからロサンジェルスまで、ルート66とインターステイト40(高速道路)を交互に走り、古きアメリカの田舎町も巡った。私はシカゴからルート66を完走後、さらにロスから太平洋に沿って北上し、サンフランシスコ、そして終着シアトルまで全行程で約6000kmをドライブした。

 アメリカの広さは日本の25倍、しかし人口は2倍強。いかに広いかは行く前から想像していたが、実際に走ると想像をはるかに越えていた。地図で見ると半日で行けそうに見えても、実際は500km以上あり、東京~大阪程のスケールなのだ。そんな国のハイウエーを毎日500km以上一人で運転するのは当時62歳の還暦親爺には少しきつかった

オクラホマやテキサスの大地は見渡す限り荒野の地平線が続き、真夏のハイウエーは強烈な直射日光にさらされ、気温は40度前後、車内クーラーを切ったら1分で温室状態になる。
 ハンドルを切る必要のない真っすぐな一本道を何時間も運転していると睡魔に襲われる。ガードレールがないので居眠りして谷のような路肩に落ちたら天国行きだ。私はFMラジオのボリュームを最大にし、流れるカントリー&ウエスタンに合わせて歌い、買い込んだコーヒーや水で水分を切らさなかった。

 

 

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