太宰治心中の謎(6)

5.天下茶屋

「天下茶屋」は、太宰治が29歳の時、1938(昭和13)年9月13日から11月15日までの3ヶ月間滞在した場所である。甲府と河口湖を結ぶ、国道137号線の御坂峠の旧道トンネル河口湖側出口にある。ここからは、真ん中に富士がそびえ、その下に河口湖が広がる。手前の山が富士の左下を隠してしまうものの、現在でも富士を撮影する絶景ポイントの1つとして知られている。特に、夕暮れ時はすばらしい。太陽が西に傾くと、富士の影が東側の大気を切り取る。そして、河口湖周辺の建物に灯がともっていく様は見事である。運がよければ、富士が赤く染まる様子もカメラの収めることができる。

この天下茶屋の2階で、太宰は『火の鳥』を執筆し、ここでの経験が、「富士には月見草がよく似合う」で知られる『富嶽百景』の題材となった。現在の「天下茶屋」の建物は、3代目。ただし、2階の6畳間に、太宰治が滞在した部屋が復元されており、当時使用した机や火鉢などが、置かれている。

太宰治の人生を振り返ってみると、ここでの滞在が、彼の人生を立て直す場所であったことがわかる。水上温泉に初代と行った後、しばらく独身生活を続けていた太宰は、井伏鱒二の奔走により、都留高等女子学校の地理・歴史の教師をしていた石原美知子と見合いをする。美知子は、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の卒業。11月に2人は婚約。翌年1月に結婚した。

文芸評論家の奥野健男氏によれば、ここで太宰は再出発を志した。「この世には、この世の限度というものがある。自分だけの主観的真実に純粋に生きることは無理なのだと、あきらめ、悟ったのである。そして自分は人間としては死に、作家としてのみ生きよう。実生活ではなく、文学の中だけに表現者として真実に生きようと決意したのである」(新潮文庫「人間失格」の解説より)。

斎藤英雄

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