「宮沢賢治」人気の秘密(6)

5.賢治の足跡を訪ねる

この拙文を書くにあたり、私は花巻を2度訪ねた。最初は会社の友人、2度目は、この雑誌の三浦基弘編集長とである。2度の旅で訪ねた賢治ゆかりの地をご紹介したい。

1)岩手山

編集長と青森県との県境に近い岩手県二戸市を訪ねた。その後、岩手県を南下している途中に、東北自動車道の西側に聳え立つ山が見えた。岩手山(ルビいわてさん)である。岩手山は、奥羽山脈にありながら、主稜からは離れており、独立峰にちかい形態。標高は2,038mで、岩手県最高峰。

賢治は、子どものころから「石っこ賢さん」と呼ばれるほど鉱石採集に興味を持っていた。岩手山には植物や鉱石採取のために登り始め、盛岡中学と高等農林在籍中の七年間に少なくても28回は登っているという記録がある。数多くの作品に岩手山や岩手山麓と思われる情景が登場する。たとえば、詩集『春と修羅』には、以下のような詩がある。

 

喪神のしろいかがみが

薬師火口のいただきにかかり

日かげになつた火山礫堆の中腹から

畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒

わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから

なにかあかるい曠原風の情調を

ばらばらにするやうなひどいけしきが

展かれるとはおもつてゐた

けれどもここは空気も深い淵になつてゐて

ごく強力な鬼神たちの棲みかだ

(「鎔岩流」より~1732年に流れ出た焼走り熔岩流の痕跡について詠んだ長詩)

2)大沢温泉

大沢温泉は、花巻市の郊外の西、花巻温泉郷より南にある。市内から車で30分。敷地内には、同じ経営ながら高級旅館山水閣、木造旅館菊水館、自炊部の三タイプの宿がある。自炊部の受付の建物は、江戸時代に建設されたものである。大沢温泉といえば、名物混浴露天風呂の大沢の湯が大変に有名。

少年の頃、賢治は信仰心の厚い父に連れられ花巻仏教会の講習会場だった大沢温泉に幾度となく訪れている。学生時代は悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、風呂場が大騒ぎになったという逸話が残っている。また、後年花巻農学校の教師時代には、生徒たちを引き連れてきたとのこと。

大沢温泉は、さまざまな雑誌やテレビ番組で何度も取り上げられたため、大変繁盛している。しかし、それにおごることなく、良心的な経営をしているところは、好感がもてる。

3)イギリス海岸

イギリス海岸は賢治が好んだ北上川のほとり。水量が減ると川床に白い岩肌が顕(ルビあらわ)れる。これがドーバー海峡の白い絶壁に似ていることから、この名をつけた。ここを訪れた時は、水量が多くて川床は見えなかった。私は河原がなく、緑の草に覆われた大地の淵を水がゆったりと流れている様子を見て、ヨーロッパの川、中でも小国ルクセンブルグとドイツ国境を流れるモーゼル川の風景を思い起こした。

賢治は、夜この川のほとりで、天の川を仰ぎ見、軽便鉄道(現在のJR釜石線)が橋を渡っていく姿から、『銀河鉄道の夜』の構想を生み出したという。

 

齋藤英雄

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