「宮沢賢治」人気の秘密(7)

4)宮澤賢治記念館

宮澤賢治の没後50年を記念して花巻市により作られたもの。賢治の業績を多角的に分析、遺品の数々を展示している。新花巻駅に近い、胡四王山(ルビこしおうざん)に立つ。この山は、賢治が「経埋ムベキ山」とした32の山の一つ。館内は「時代・地域・生家」「信仰」「科学」「芸術」「農村」「総合」「資料展示」の7部門に分かれている。この展示を見ると、宮澤賢治がいかに多くの分野に関心をもち、それぞれに全力投球していたかを推測できる。自らの一生が短いことを知り、限られた時間で精一杯生きようとした姿が伝わってくる。この記念館は、賢治の足跡を求める人にとっては、絶対にはずすことができない場所だ。

5)比叡山延暦寺

琵琶湖の周りを三浦編集長と旅行し、比叡山延暦寺を訪れた時、根本中堂(ルビこんぽんちゅうどう)の入り口右後方に賢治の歌碑があり、驚いた。この歌碑は、今から50年ほど前に建てられたものとのこと。

歌碑には「根本中堂 ねがはくは妙 法如来 正偏知 大師のみ旨 成らしめたまへ」(どうかみ仏の素晴らしいお知恵によって、伝教大師が日本に天台の教えをひろめられ 国の平和を守りたいと祈られたみ心にあうよう、どうかみ仏の加護をいただきたい)と彫られている。

賢治は、ここを1921(大正10)年に25歳のとき、父とともに訪れている。前年に盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を卒業した賢治は、大正10年1月に突然、東京へ家出しており、そこへ父が上京。賢治と父・政次郎(当時47歳)は、比叡山の他、伊勢神宮、比叡山、奈良方面を6日間かけてまわった。

6)現在の花巻

車で花巻の中心街を走ると、日曜日の昼というのに人影がまばらで、地方経済の不況の深刻さを感じた。東京の繁華街の喧騒ぶりを見ると、「どこが不況なの」と言いたいが、これではとてもこの商店街は生き残れないのではないかとの危惧を感じる。

唯一、駐車場に車が多数駐車していたのは、賢治がよくてんぷらそばを食べたという「藪屋」であった。賢治の通った蕎麦屋で、花巻を発祥の地とするわんこそばにありつこうとする観光客で、この店だけは大繁盛。店は、特に昔の風情を残しているわけではない。賢治は、この店をブッシュ(藪)と呼んでいた旨が、店の展示物でわかる。

花巻の郊外に出ると、ファミリーレストランやカー用品のチェーン店が現れ、ここが花巻だという実感はなくなってしまう。畑や水田の間を立派な道路が走り、さらに新たな道路建設が進捗している。道路建設と宮澤賢治を目当てに来る観光客だけが、この街の経済を支えているかのようである。

齋藤英雄


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