フランスあれこれ44~元大統領ジスカルデスタンの死を悼む

第20代フランス大統領ジスカルデスタン(Valery Giscard d’Estaing)がコロナで去る12月2日逝去と言うニュースが流れました。享年94歳。

私が最初にパリに赴任した1964年当時はドゴール大統領でしたが、学生運動から始まる5月革命でポンピドー大統領へバトンタッチされました(1969)。その直後私は帰国。やがて第一次オイルショック(1973)があり、暫くしてポンピドー大統領が急逝、後任としてジスカルデスタン大統領が若く47歳で就任したのが1974年でした。フランスとは仕事のつながりもあり、又ドゴールの印象が強かったためでしょうか、その後の政治の動きが耳に入ってきたものでした。ただ特別に知識があるわけでもなく、今回のニュースで改めて各新聞やネット情報を整理してみました。

結論から申し上げるとジカルデスタンに対する評価は色々で、彼の若さと実行力から「フランスのケネディー」と呼ばれ、或いは国際感覚が豊かで「偉大なる欧州人」の評価もあれば、片や彼の着想は認めても傲慢で冷淡だとか、左右両派の信頼がなかったとのコメントもあります。表現を変えれば自信がありすぎ、一方的で、人間関係が今一つだったのかも知れません。

彼の業績の一つは1975年最初の六か国首脳会議の提案です。これがサミットのスタートとなりました。日本から三木武夫首相が出席しました。またドイツのシュミット首相と好関係を築き欧州統合を強く推進しました。欧州通貨制度でリーダーシップを取り現在の通貨ユーロへの第一歩となりました。国内ではエネルギーの将来を考え原子力発電を強力に推進したとも言われます。

1979年第二次オイルショックなどで経済が低迷、1981年二期目の再選を目指す大統領選挙で社会党のミッテラン候補に僅差で敗れました。私が二度目の赴任をしたのが1988年です。

1989年欧州議会議員に選出され、2002年欧州将来像諮問会議議長となり欧州憲法草案を提案するに至りますが皮肉なことに自国フランスの国民投票で否決されました。この間フランス政界の長老として君臨したものの彼を慕う人は少なかったようです。

今年9月肺の感染症で入院、一旦は退院したものの11月再度入院、今回はコロナ感染と診断されたと言われます。

ご冥福をお祈りします。

Tomma

 

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