ミレーの「落穂ひろい」=フランス・バルビゾン村

 ナポレオンのフォンテンブローと来ると自然と足の向くのがミレーの「晩鐘」「落ち穂ひろい」のバルビゾン村です。フォンテンブローのすぐ隣り、日本からの旅行者にこの話を出すと皆さん飛びついて是非にと希望されます。しかし現地に入って、「一体どこですか?」特別目を引くものもない田舎町にビックリされるのが普通です。

アルバムから一枚の写真が出てきました。ミレーの住んだ家で呼び鈴を押す私を背後から撮影したものを頂いたものです。ドアの上には「入り口」の文字、よく見ると「J F Millet」とあります。これは1966年11月、随分古いもので現在は少しは変わっている筈です。

 1867年、この写真のほぼ100年前、日本が初めて参加したパリの万国博覧会でミレーの絵画「夕べの祈り」が入賞して有名になりますが、社会情勢に不安面もあってプロレタリア画家と評されたとも言われます。有名な「落ち穂ひろい」(1857)についても出稼ぎの労働者を動員して落ち穂ひろいをさせたとか、いや、落ち穂ひろいは貧乏人に解放されたものだとか今でも議論があるとも聞きました。背景として産業革命が進行、貧富格差が広がり、プロレタリアが台頭して声を上げていたという事でしょう。

いずれにせよミレーの生前は苦労の連続で、絵画も一喜一憂、故郷ノルマンディーとバルビゾンを往復する生活だったらしい。

時はナポレオン三世の時代、そして独仏戦争に突入、ナポレオンIII自身が捕虜となり降伏、そして第二帝政が終わりました。

(ナポレオン三世はナポレオン一世の甥。また、山梨県立美術館が「種をまく人」(1850)を始め何点かミレーの作品、そしてバルビゾン派の作品を展示しています。機会があればぜひお出かけ下さい。)


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