私のナポレオン(3)ナポレオン追想

1814年ナポレオンは皇帝の座を追われエルバ島に流されて一年、その間戦勝の欧州列国はウイーンで戦後体制を話し合いますが「会議は踊る」で遅々として進まず、後任のルイ18世の悪政による国内の混乱もあって、1815年3月ナポレオンは皇位に返り咲きました。しかし欧州列国も黙っていません、ナポレオンは再び戦争に巻き込まれて行きます。そして100日を待たずに彼の最後の戦い「ワーテルロー」に・・・

   私はベルギーからオランダを回遊する旅の途中でそのワーテルローに立ち寄りました。小高い丘がありそこに立ってナポレオンもここから戦域全体を眺めたのだと考えると何となく彼の心境に近づいた思いをしたものです。残念ながら彼の思い通りに行かず、最後の一戦で敗退します。彼の体調の問題もさることながら、やはり頭脳の衰えというのでしょうか、判断・行動が戦況に合わず、何よりも時間の空費が決定的な失敗につながったとのこと。

1814年6月ナポレオンが退位。そして終焉の地セントヘレナに島流し・・・

再び思い出すのがナポレオン時計です。私はその数年前に得意先から届いたナポレオン時計が一瞬彼の戦略の根源かと思ったのですが時代が少し違っていたのでしょうか。当時携帯用の時計がなかった訳ではありませんが、実用化の面では疑問が残ります。

彼は子供の時から戦争ごっこが好きでいつも戦略的にリーダーであり負けなしだったといわれます。コルシカ島がフランスに併合され、フランス人として生まれたようですが言葉も不慣れで大変苦労したと言われます。しかし戦争に関しては天才だったのでしょう。

フランス国内での彼の評価は一般には戦略的で指導力抜群、業績は天下一品、しかし反面全体主義的独裁者で侵略者との評価もあって大きく分かれるところです。


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