フランスあれこれ55~私のナポレオン(2)百日天下への道

 古いアルバムを繰っていて一枚の写真を見つけました。ナポレオンの乗馬像で日付は1992年。当時はデジタル化の前で写真撮影は景色と一緒に人物の写真を撮るというのが一般的でした。(人物は切り取っています)

 1814年4月フォンテーヌブローを出立してエルバ島に来たナポレオンですが、エルバ島滞在はわずか10カ月程度、しかし満を持しての脱出を敢行、ニースとカンヌの間にあるジュアン湾に上陸しました。彼の後任のルイ18世の悪評もあって彼は大歓迎を受けます。

 私は夏休みを利用して南仏の旅行を楽しんでいました。その10年ほど前に突然の事故で亡くなったモナコ后妃グレースケリーの宮廷を訪ねました。丁度衛兵の交代の儀礼のタイミングでした。成程と思われる急カーブの連続で当時を偲んだあと一路パリに向かいますが、選んだ道がナポレオン街道です。比較的なだらかな坂を登る途中にグラースの街があります。北海道の富良野を想像してください。一面の花畑、フランスの香水生産の拠点です。

この後は急な山坂、アップダウンと急カーブの連続、しかし古代からの重要な交通路です。ナポレオン街道と呼ばれるのはこのグラースからリヨンの手前のグルノーブル迄を言います。

 街道の中間近くシストロンの街で一泊することにしました。古くからの交通の要衝で、歴史的にはローマ時代、いやもっと古く4000年の歴史とも言われます。小高い丘の上に遺跡の断崖が残っていました。宿泊は星つきのレストランを兼ねたホテルでした。大きな庭があり一角にプールもあり、古くからの保養地を兼ねた中継基地を感じさせました。料理も良く大名気分の逗留になった記憶があります。

ナポレオンの進軍が進むにつれ参加する軍隊も大きくなり、当初の1000名が既に6000名位になっていたと言います。恐怖を感じたルイ18世はそれを阻止するため軍隊(約6000人)を派遣しますが、これがまた寝返ってナポレオン軍に加わりました。その軍隊は街道の終わりグルノーブルの近くラフレー湖でナポレオン軍と合流、この地に乗馬姿のナポレオン像が建ったという次第です。

ルイ18世は亡命、ナポレオンはフォンテンブロー宮殿に到着、百日天下の皇帝に復帰します。

次回は最後の戦いの場ワーテルローを訪ねます。

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