私のナポレオン(1)ナポレオン時計

  40年位前でしょうか、2度目のパリに赴任をしました。その直後ある得意先から記念品だと言って置時計を頂きました。何の記念だったのかは記憶にありませんが、「ナポレオン時計」だという事はしっかり覚えています。(写真はイメージで頭の帽子の部分は単純な輪の取り手でした。)応接室の棚に飾らせて頂く事にしました。その後もナポレオンの話が耳に入ることがあり、この機会にと思って内地の友人にナポレオンの本を送ってもらうことにしました。(この本は今も私の書庫に入っています。)ナポレオンの一生を通読したのですが時計の話は全く出てきませんでした。彼の戦略に大いに有効利用したのではという期待を持っていたのですが、そんなある日この時計は忽然と消えました。

その後知ったのですが、この時計はナポレオンと言ってもナポレオン三世時代のモデルだったのです。しかしお蔭でナポレオンを勉強することになったと今も感謝しています。

(ナポレオンの生涯については注記をご参照ください。)

 当時日本からの来客も多く、週末の小旅行などでフォンテンブローの森に行く機会があり、その都度ナポレオンが失意の中でエルバ島に去る際、このフォンテーヌブロー宮殿の中庭に面した円形階段で近衛兵たちとの別れをした(1814年4月)という同じ現場に立ち、彼の心境を推し量ったものでした。ひと言付言しましよう。彼を取り巻く元帥府の側近どもがいとも簡単に彼を見限ったという。一方近衛兵たちはエルバ島への同行を選んだという。

ところでナポレオンと言えばブランディーやコニャックなどの年代物のブランドとしても使われます。しかしナポレオン一世時代(1806年)のコニャックが今も存在してネット価格が1本300万円にもなると言います。

次回はエルバ島から百日天下への道を訪ねます

(注記)ナポレオンの生涯

1769年コルシカ島生まれ、幼年学校、士官学校(砲兵科)と進学、85年士官に。1789年フランス革命。革命に反対する元貴族士官の亡命などで空席が出来て昇格、94年砲兵司令官に。更に王党派の反乱鎮圧で評価されて国内軍司令官に。フランス革命へのオーストリアの介入に端を発し、イタリア方面からの進撃で成果を上げ英雄として凱旋、国民の信を得た。その後イギリスが介入、エジプト遠征中に対仏大同盟が出来、急遽帰国。内政でも力を発揮して難局を突破。経済、教育など各分野で改革を進め、遂には1804年国民投票で皇帝にまで上り詰めた。海軍力を持つイギリスの抵抗に苦慮、トラファルガー沖海戦で失敗。逆に陸ではアウステルリッツで勝利、(これを祝してのシャンゼリゼの凱旋門計画であったが完成は彼の死後で1936年)イギリス・スエーデンを除く全欧州を制圧したこの段階が彼の絶頂期だろう。そしてイギリス・ロシアの連合による圧力で産業界の打撃も大きくなり、遂に1812年彼の命取りとなるロシア遠征に踏み切ることになる。寒冷の地ロシアに長逗留したのが運の尽きとなった。そして失意の中でエルバ島へ。


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