南仏プロヴァンスのローマ遺跡(2)アルル

アルルはマルセイユと同じBC600年頃、こちらもギリシャの植民都市として発足、以来常にマルセイユと競合する立場であり続けた街です。

アルルはマルセイユの西約80km少し内陸部に立地し、スイスアルプスに源流を持つローン河の下流近くにあります。目的はこちらも交易の要衝として発展します。当時は手漕ぎの船で小回りが利いたからでしょう、沿岸の港に留まらず内陸まで物流の手を伸ばしたという事です。その意味で港のコンセプトがマルセイユと少し違っていたと言えます。やがてガリアとローマの波に翻弄され、ついにはローマの内紛に巻き込まれたのですがカエサル側についたのが幸運をもたらし、その後は一大発展をとげることに。以来アルルはローマの拠点となり、ローマの古兵が植民するなど、経済のみならず文化も取り入れる事になりました。

 アルルの古代遺跡としてはまず円形競技場、紀元前一世紀末頃の建立でローマのコロッセオより古いと言われます。直径136m、観客数26000と言われ、建造時アーチ3層(現在2層)だった由。中世に要塞に改造され、最上部アーチの石を使って見張り台に転用したり、その後約200戸住宅に改造され、中には商店や礼拝堂などもあったらしい。19Cにこれらを一掃したのですが、住宅として維持されたお蔭で遺跡の原型は綺麗に残されたようです。(写真は私が1990年12月31日滞在したホテルの窓から撮影したものです。下の層が低く見えるのは一部地下に沈んでいるからです。)

もう一つ古代の劇場があります。定員12000、一部は石材として壊されたようですが立派に原形をとどめています。舞台が巾100mとも言われ今も当時を十分偲ばれます。

 必ずしもローマ遺跡とは言えませんが(ローマ時代から15世紀まで続いた)アリスカン墓地について触れたいと思います。ローマ街道の一つアウレリアス街道に沿って広大な墓地があったようです。当時は有名人が立派な石棺に収められて並んでいて死後の天国と思われていました。ローン川の上流から豪華な石棺で運ばれる故人も多く、時には小舟にお布施を付けて無人の船で流されてきたお棺もあったとか。その中でも立派な彫刻のお棺は消え、今では緑豊かな街道沿いにずらりと並ぶ古石のお棺が人を呼んでいるとか。

さて現在のアルルはと言えばローマ遺跡以外に目ぼしいものも少なく、町も寂れ、マルセイユとは比較も出来ない格差となっています。むしろヴァン・ゴッホの名前が知られているかと思います。晩年この地で描いた有名な絵画「黄色いカフェ」や「跳ね橋」が実在しますが、何れも有名になってから再建されたものです。但しこの跳ね橋はローマ時代に作られた運河に掛かっています。

この運河はローン川に寄り添うように地中海まで続きます。何故運河が造られたかという疑問があります。ローン川は雪解けの頃流れが急で遡上することが難しいという問題があったようです。BC200年頃にローマの協力で掘削が進んだとされています。(これらの写真は1991年Ⅰ月2日、私のアルバムからです。)

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