南仏プロヴァンスのローマ遺跡(3)ポン・デュ・ガール(水道橋)

前回のアルルから約30kmの距離に同じローマ時代に栄えた街ニームがあります。円形競技場や神殿など古代遺跡がありますが、正確にはプロヴァンス地方との境目の外に立地します。それはさておきテーマはこの街に送られた水道の途中にあるポン・デュ・ガール(ガールの橋)即ち水道橋です。

 先ずは写真をご覧ください。ガール川を跨いで三段のアーケードになっています。最上階が水路で日量約2万トン、水源から目的地のニームまで約50km、その間の高低差わずかに17m、平均1km当たり34cmということになります。

 建設された時期についてはどうもはっきりしません。一説では初代皇帝アウグストス時代のBC19頃とか、西暦50年頃の完成とか言われます。いずれにせよ以来2000年近いことは間違いありません。

私がここを訪ねたのは写真の日付から
1990年1月2日、現在の観光状況とはだいぶ違っているかと思いますが、当時の写真をご覧いただきます。まず、アーケード最上階水路の石室の幅3mです。アーケード3層の高さ50m川の水面からだと更に10mプラスでしょうか。その上を歩行中する勇敢なカップルをうまく撮影出来ました。

この水路の一部の天井が剥がれ落ちていて、そこなら恐怖もなく歩くことが出来ます。
それは次の写真です。左右に白い壁が張り出していますが石灰が積もったものです。この水道橋、建設後約600年間使用を続けたと言います。ご存知のようにフランスの水は一般にメネラル豊富で硬水です。

誰が建設作業をしたかが最後の問題です。いくらローマの建設技術が進んでいたとしても実際の作業は簡単ではありません。ご想像通り奴隷です。地元のガリア、東北から侵入のケルトなどローマに楯突く人々が奴隷となったのです。それにしても重機など文明未開のこの時期によくぞと感心、同時に奴隷になった人たちの心境を想い偲びます。

他にもプロヴァンス地方にはローマ遺跡があります。パリやリオンから南下して先ずプロヴァンスに入ると出迎えてくれるオランジュの凱旋門(BC20ころ)、更にほぼ完全な姿で残る古代劇場、更にアルル近くまで南下してサン・レミ・ド・プロヴァンスには霊廟・その入り口の門・浴場などが散在している。いずれもBC50から西暦50年位と言われています。

中世の遺跡や城館などに飲み込まれたと想像される街や地域もあり、ましてや中世の遺跡や城館に至っては幾ら紙面があっても・・・という事で失礼します。

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