コンピエーニュの森(独仏休戦協定)

今まで(1)パリから東のセーヌ川の源泉、(2)西のガイヤ-ル城とルーアン、そして(3)パリから南のジアンと運河の立体交差を見て来ました。今回はパリから北に80㎞コンピエーニュの森を訪ねます。
結構広大な森ですが比較的平坦、中央付近に森を見晴らす小高い丘があり、なるほどと思える古くからの狩場です。縦横に直線道路が整備されていましたがカーナビのない時代は辻々の案内看板が頼りでした。
歴代の国王や貴族の館が森の片隅にあったとか。様変わりしたのが18世紀末。ルイ15世がそれに手を加え、更に息子のルイ16世がオーストリアからマリー・アントワネットを迎えるために増改築して広大で壮麗な館を作ったと言います。革命後ナポレオン1世、更にナポレオン3世が増改築、家具内装などヴェルサーユ宮殿に負けず劣らぬ豪華絢たるものにしたと言います。
この森について(宮殿ではありません)欠かせない話があります。第一次、第二次二つの欧州大戦の休戦協定がこの森の一角で行われたという事です。私がここを訪ねた最初は多分50年位前だったかと思います。森の中に一台の鉄道の客車が止まっていました。客車の入り口に踏み台があって自由に中を見学することが出来ました。
1918年11月11日第一次世界大戦の休戦協定がここで結ばれました。何故こんな森の中でという疑問ですが、フランスには戦争継続を叫ぶ一般市民が多く、交渉は静かにそして暴力的な彼らの目に触れないという事があったようです。(右の写真)協定は2度ほど延長され、最終講和条約はヴェルサーユ宮殿で1919年6月28日締結されました。
次に第2次大戦です。1940年5月、初戦で圧倒的な侵略を見せたドイツに対し、早くも6月にはフランス側から休戦の申し入れを行いました。1940年6月22日に休戦協定が締結されたのですが、ナチス・ヒトラーはこのコンピエーニュの森を指定し、1918年と同じ客車内での協定締結を要求しました。この客車は戦勝記念としてドイツに送られたのですが、その後戦災で消滅したようです。
私が見た客車は同系の類似したものだったようですが、現在はそれも近くに建設された記念館に展示されているようです。
コンピエーニュについてもう一つ欠かせない話があります。またまたジャンヌダルクの登場です。多分これが最後です。彼女がルーアンで火あぶりの刑を受ける前、この町で捕縛されたのです。

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