フランスあれこれ(8)下宿の叔母さん(トゥールのお母さん)への手紙(I)

こんな写真が出てきました。日付は1964年4月23日となっています。お世話になり始めて2週間くらいでしょうか。この頃は当然のことながらフランス語を話せる状態ではありませんでした。お世話になった3か月の事を思い出しながら、当時お話出来なかったハプニングをお耳に入れたいと思います。

パリ駐在を命ぜられ、東京羽田からオランダ航空で出発したのはその年の3月末だったと思います。アンカレッジ経由のボーイング707でしょうか。北極上空を通過したという証明書を貰った記憶があります。しかし目的地アムステルダムの天候不良でスコットランドの空港(Prestwick Airport)に予定を変更して緊急着陸、数時間の待機となりました。その後乗り換えも順調でなく結局最終目的地デュッセルドルフに到着したのは予定の翌日、しかもその日は復活祭の休日でした。出迎えてくれる筈の現地の駐在員とも連絡がつかず、空港で電話番号探しで右往左往しました。三日ほど打ち合わせと称して再びオランダに車で旅行、その後やっとパリに赴任しましたが、ホテルに一泊したあと事務所に顔を出したところ、すぐにもフランス語学校のあるトウールに移動するように言われました。学校は既に一週間くらい前から始まっていたようす。事務所のスタッフが列車の時間を調べてくれたり、幸いなことに丁度事務所に来ていた日本人留学生(ガイドのアルバイト探しで来ていた)が駅まで車で送ってくれました。

時間があったので軽い昼食としてサンドウィッチを買って駅の近辺で時間をつぶしました。丁度良い時間だと思って駅に帰ってびっくり!、列車は既に出発した後でした。腕時計が止まっていたのです。さて次の列車は?と調べたところ3時間位あと迄ありません。止むを得ずそれを待って再び駅に戻ったところこの列車は季節列車で不定期の由。更にその次の列車は?2時間後!パリとトゥールの距離は約230km、約3時間。そしてやっとの思いでトゥールに到着したのが夜の9時頃だったかと思います。

さて駅前でホテル探しです。駅頭に旅行鞄を置いて近くのホテルから順番にと思ったのですが、最初のホテルで満室と言われ、満室の場合はその旨の看板がドアに掛かっていることが判りました。どこも全てのホテルがコンプレ”Complet”即ち満室となっています。最初のホテルに戻って途方に暮れていたところホテルのオーナーさんでしょうか、今日は休日だからどこも満室でしょうと言います。何か良い方法?と相談しましたが英語が通じません。ちょっと待てと言って奥に入ったあと中学生くら いの女の子を連れて来て、学校で習っているのだから英語で話してみよといった感じ。結局通じなかったのですが、物置のような部屋を紹介してくれてこれで良ければという事になりました。

さて翌日フランス語の学校へ出向きました。遅れて入学の手続きと下宿の相談をしました。いずれもパリ事務所が事前に申し込んでくれていたものです。紹介された下宿は3軒、お勧めはこの順番ですとメモ付きでした。一日の勉強のあと教わった通りの順番でまず伺ったのが叔母さんのお宅でした。駅前のホテルに預けた荷物を持って参りますと伝えたのですが英語が通じなかったようです。ホテルに戻り、今度はタクシーで叔母さんのうちへ参りましたが、玄関に鍵が掛かっていました。またしても旅行鞄を玄関に置いてご近所を散策して戻ったところ今度はその鞄がなくなっていました。半分ひやひや、そして半分ヤレヤレ。結果オーライでした。

それから3か月大変お世話になりましたが、その折の思い出は次便でとさせて頂きます。

(写真はトウール駅前で噴水の周りにホテルが7軒くらい取り巻いていました)

東 孝昭

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