フランスあれこれ75~パリの今昔=東駅

フランス国鉄は日本と対照的に異なり、すべての路線は全てパリに集中するのは当然として、東京に相当する中心駅はなく全て独立の路線の終着駅であり出発駅です。目的によって駅を選ぶことになります。(日本でも新宿や上野など少しこれに近い感じですが山手線で繋がります。パリでは完全に孤立独立しています)

今日の話題はパリ東駅、パリ北駅と隣接していて歩いてでも移動は可能です。北駅はまっすぐ北に進んでドーバー海峡からイギリスロンドンに向かいます。東駅は出発点ではやはり北に向かいますがやがて東に折れてストラスブルグ近辺でライン川を渡ってドイツに、更にはスイスやオーストリアに向かいます。

元来パリの主要駅は馬車の時代の集合場所、即ち人や物流の中継基地として発展した歴史があります。

私が最初に乗ったのが語学研修で向かったロワールの古城近くトゥールという町で、乗車駅はオステリッツ駅、出発後しばらくして最初の停車駅のあと列車が逆方向に走り出しました。即ち駅は原則として街の入り口であり出口、パリと同じ作りになっています。知らなかった私は何事かと吃驚したものです。

さてテーマの東駅です。最初の出張でこの駅からストラスブルグの近くまで参りました。アルザスの地方一角です。閑散として列車もほとんど空席に近い状態。本数も少なく約束の時間には中途半端で時間をつぶす必要がありました。この線には最初で最後の乗車、それ以後は常に車となりました。東駅は大きな駅ですが当時駅前は閑散として商店もほとんど見かけませんでした。これは約50年いやもう少し以前の光景です。

第一次、第二次二つの大戦の発端はライン川を挟んでドイツとの戦いです。多くの兵士がこのパリ東駅から出征、多くの兵士が傷を受け、捕虜となり、或いは命を落としています。有名なヴェルダンの戦い(第一次大戦)では独仏両軍合わせて70万人の犠牲者と言われます。要はフランス人にとって東駅は地獄への出発駅と言う印象があったようです。

この印象を持ったまま私はその後この駅を利用したことがありません。ヴェルダンの墓地も訪ねましたが車でした。

パリのシャンデリゼ通りで「ドイツ野郎は来るな!すぐ出ていけ!」と言う怒鳴り声を耳にしたことがあります。身内の誰かを戦争で亡くした人だったのでしょう。今も耳に残っています。

さて現在は様変わりしているようです。昔の暗い面影は全くないと聞いています。ストラスブルグに欧州連盟のセンターができ、ドイツとフランスがEUの中核となって連携を取っています。高速鉄道が往来し、人流も多くなりお蔭で東駅も一変、明るい賑やかなセンター駅の一つに生まれ変わっているようです。

残念ながらこの変化した東駅は私には想像する以外ありません。

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