フランスあれこれ24~JIS規格の功罪

東京電力第2原発のメルトダウンの結果に対する東電経営トップ三名の責任問題で最高裁は無罪の判決を出しました。問題の焦点はマグニチュード8.2の地震が発生した場合15.7mの津波予想があったが、この提案に対する根拠、信頼性に欠けるとして対策を取らなかったことへの責任が問われたものでした。本稿では無罪の判決について云々するものではありません。ただその時に浮かんだ昔の思い出をお話しするものです。

JIS、日本標準規格ですが基礎はメートル法に基準しています。フランスはそのメートル法の原点であり世界への提案者となっています。日本には明治維新に紹介されたものの完全採用は1950年代、戦後だったようです。そういう歴史も理屈も知らずにフランスに赴任した折、単純にメートル法は日仏共通だと考え一つのアイデアが浮かびました。日仏化学会社の技術交流です。兼ねて仲良くしていた日本の化学会社の技術者が出張してきました。その時に置いて行った会社概要(日本語)を眺めていてふと思いついたのがフランスにもよく似た会社のあることです。日本に相談もせず私のアイデアとして技術交流を提案した時の思い出です。

製品リストの交換(製品の内容と規格)、開発中の製品と目標、将来的に目指したい商品についてまず情報交換する。将来的には技術提携や共同開発を目指す。というのが私の趣旨でした。日仏双方が面白い、やりましょうという事になりました。

パンフレットをフランス語に翻訳(非化学系の私と化学無知の秘書には大変な苦労でした)して面談。面談したのは先方の技術開発部長。会議の途中に社長も一度顔を出してくれました。話は上にも通じているのだと思ってちょっと調子に乗っていたかもしれません。ところが話の途中技術開発部長から待ったがかかりました。どうも私がJIS規格という言葉を使い過ぎた様子でした。曰く社長が見える前に一言言っておきたいことがあると言います。それは規格を云々しないでほしいという事です。彼の言いたいのは、彼のチームは技術部だが同時に開発部です。常に新技術、上のレベルの品質を求めるのが仕事であり使命です。社長は経営側の立場で株主の代理人、規格以上のものに金は使いたくない立場というのです。無論同業との競争や新分野には興味のあるのは当然だが、この点をしっかり弁えて貰わないと上手く行かないと言います。

日本とフランスの企業意識の違いもさることながら、職業意識というか職人魂のようなものを感じた次第です。

同時にJISに限らず規格というものは商品の汎用化、流通、或いは使用側からの安心など絶対にあるべきものだと思います。しかし裏から見ればひょっとしたら化学技術の発展にブレーキをかけていたとか、避けることの出来た思わぬリスクを見逃しているかもしれません。

私の一言は「物には光と影がある」という事です。
(どういう背景かは知りませんが、トヨタ自動車がISO、国際標準規格には参加していないと耳にしています。)

    フランスあれこれ24~JIS規格の功罪” に対して1件のコメントがあります。

    1. t_nishi より:

      記事の題を見たときから功罪とはなんぞやと興味を持ちました。なるほど、当時先進国の代表であり世界の最先端を走っていたフランスが、日本と言う極東の国の「JIS」という企画にどれほどの信頼を持ちえたかということもあるような気がします。

      技術が未発達の時代には、JISは、粗悪なものを排除し一定の規格をクリアした優秀な製品であると認めるものとしてユーザーに安心感を与えることで非常に大きな機能を発揮したと思います。

      もし、この話が逆の立場だったらどうでしょう。
      あくまでも私個人の考えですが、規格好きの日本人なら、まずはフランスで一定の水準をクリアした優良企業(製品)と判断する基準にすることはあっても、それを否定もしくは無視して、わが社はそれ以上のモノを目指しているのでそんな規格は持ち出さないで欲しいといったでしょうか?答えは「ノン」です。

      ISOは一時、日本でも盛んに取り入れられ、世界標準に遅れまいとする企業が必死に取り組み右往左往していたことを思い出します。確かに、それまでは考えてもみなかった単なる「商品」の品質ではなく「マネジメントシステム」の品質といった考え方に初めて触れた時でした。

      各企業の社員たちは、ISO9001/ISO14001を取得するためにそれまで以上の時間を割いて取り組んできました。そんな中、世界のTOYOTAは、そんなものいまさら言われなくても既に自社規格があっていまさらの話だといって不参加と聞きました。考えて見ると、「トヨタの看板方式」などは、世界の企業が素晴らしと評価し、多くの企業が真似をして取り入れたとも聞きました。

      いずれの「規格」も功罪相半ばといったところかもしれません。

      しかし、外から押し付けられる規格に合わせるのではなく、自らの規格をいち早く設定し、常にそれ以上を目指していく姿勢こそ世界に通用する企業となり得る条件ではないかと思います。
      (八咫烏)

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