フランスあれこれ82 フランス国歌 “ラ・マルセイエーズ”

皆さん、フランス国歌”ラ・マルセイエーズ“を一度は聞かれたことがおありかと思います。日本の国歌「君が代」とは詩文も音曲も正に正反対と言うべきものです。当初は凄く元気の良い国歌だと特別の違和感を持たなかったのですが、詩曲の内容を知って以来、国歌の意味するところを見失って路頭に迷う思いをしたものです。

先ずは一度お聞きください。(画面にフランス語と日本語訳が表示されます)

フランス国内でも国歌の制定以来色々と議論や異論があったようですが、都度そのまま収まってきたと言われます。しかし心なしか国歌が斉唱される機会は非常に少ないように思います。パリ祭(革命記念日の7月14日)かオリンピックの時くらいでしょうか。

本来この曲は国歌として作成されたものではなかったようです。フランス革命の折ルイ16世が王妃マリー・アントワネットの里オーストリアへの国外逃亡事件(結果は不成功)があって、フランスとオーストリアの関係が悪くなった折、マルセイユの義勇兵がパリに向かって進軍する際に歌われて一躍有名になったのですが、史実によるとその2か月ほど前、ストラスブルグに駐留した軍隊の激励・応援の歌として一夜にして作られたものだと言います。いずれにせよフランス革命に関連していることは事実です。

そしてこの歌の目指す所は団結です。革命以後も時には左翼の団結を呼びかけ、時には右翼や軍隊、或いは国民の団結を呼びかけ、都度異論を巻き起こしながら、結果的には長く国歌として生き続けているのが実情のようです。

さて皆さんのご感想は如何でしょうか。

(以下余談です)

フランス革命は通称ブルジョア革命と言われます。王室、キリスト教、貴族とこれに対抗する商工業者(即ちブルジョア)との間の矛盾が出発点です。1789年7月初めパレ・ロワヤル(王室庭園、現在のルーブル美術館の近く)での「市民よ、武器を取れ!」の掛け声で騒乱に発展。アンヴァリッド(廃兵院、文字通り傷病兵の館、現在はナポレオンの墓所)の地下にあった武器庫に民衆が殺到、それをもってバスチーユの襲撃・占拠へ。これが7月14日、この日が後の革命記念日に。その後1791年ルイ16世一家の逃亡、ベルギー近くでの捕縛事件に。これを機会にオーストリアとの関係悪化、1792年4月、フランスがオーストリアに宣戦布告、しかし戦況は苦戦に。この時ストラスブルグ駐在の戦士を鼓舞するためにこの歌が作成された。そして7月オーストリア並びにプロイセン相手に苦戦する中、全国からの義勇軍(連盟軍)がパリに集まる中マルセイユからの軍がこの歌を歌いながら行進した。以来この歌が「ラ・マルセイエーズ」と呼ばれる背景となり、更には国歌として認められることに。


フランスあれこれ82 フランス国歌 “ラ・マルセイエーズ”” に対して1件のコメントがあります。

  1. 東賢太郎 より:

    読ませて頂きました。昔、フランス映画「禁じられた遊び」を思い出しました。「ラ.マルセイエ-ズ」も。
    映画の中のギター「愛のロマンス」は私もギターで弾きます。

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