日本のバブルが最高潮の頃2回目のフランス駐在でパリに赴任しました。パリ在住の日本人もバブルに浮かれ、週末になるとたむろしてゴルフ場に行ったり、集団で行動することが多く見られました。丁度その頃イラクがクエートに侵攻、中東戦争の始まりです。欧州の景気はこれを機に転換期を迎えましたが、日本はアジアの時代だとバブルに突っ込んでいきました。私はこの機会に日本人仲間と距離を少しおくことにして、以前から興味を持っていたヨーロッパ古典技法のステンドグラスを勉強することにしました。

初めてのステンドグラスはシャルトル大聖堂*の「ベルばら」の部分のまたその一部分でした。大半は先生の手になる作品で私の作品と言うのも聊か憚られるところです。(作品は色々意味のあるところですが、聖者が民衆を怪獣=外敵から守るというものです)以来我が家の居間で私共を見守っていました。
(*シャルトルはパリの西南約90km、大聖堂は1220年建立の世界遺産。ローマ時代の神殿跡に作られた。ステンドグラスはとくに有名でその聖地とも言われる。フランスの一大観光地です。)

ある日私どもの事務所の女性スタッフがご夫妻で我が家に見えたのですが、このステンドグラスを見て、後日一つの聖者像が我が家に届くことになります。古いものを沢山コレクションしていることは聞いていたので特別の詮索もなくお預かりしたつもりでいました。簡単な聖者像の説明も伺ったかと思いますが長く記憶から消えていました。以来数年間のパリ生活を見守られ、やがて日本に帰ることになった折、この像は是非とも日本に連れて行ってほしいと言われました。私は我が家の守り神のように親しんできた像でもあり、また別れも惜しく有難く頂くことにしました。

日本に帰って二十年近くなって自分の年を考え、この像の将来についてふと思いを巡らすことになりました。同僚のクリスチャンに相談したところ、日本は清教徒の教会が主流でいわば偶像の崇拝はしないと冷たくあしらわれました。以来カトリックの教会を探してあちらこちらと相談して回ることになりました。渋谷の近辺で数軒の教会を巡りましたが正直冷たく断られ、一度はこっそりと教会の礼拝堂の片隅にでも置き去りにすることすら考えました。

ある日横浜の山手を散策していた時です。目の前に「カトリック山手教会」の文字が目に入りました。幼稚園なども運営する大きな教会です。子供のお迎えに見えていた若い奥さまに事務所の所在を伺い、早速にお尋ねしました。簡単に事情を説明、持っていた写真をお渡しして帰宅しました。我が家に帰った丁度その時電話が鳴りました。先ほどの事務所の方からでした。
「教会のシスターに相談しました。写真の像は聖アントニオで、この聖者像の行くところは日本ではただ一か所、それは世田谷の聖アントニオ神学院です。」住所などいろいろと教えて頂きましたが、この時私の肩にずっしりとのしかかっていた重い荷物が天国に舞い上がった気分になったことは間違いありません。正直ほっとしました。

一言、私はクリスチャンではありません。

聖アントニオはリスボン(ポルトガル)で貴族の子として生まれ、清貧にして秀才と言われます。貴族の世襲より清貧を選び、スペイン、フランスと精力的に布教に尽力しました。中でも聖フランシスコに共鳴しました。聖フランシスコはサンフランシスコの名前の渡来でもある聖フランシスコ。この人も裕福な貿易商人の息子ながら家業を継がず、清貧を旨とした活動で知られています。

カトリック山手教会は日本最初のカトリック教会です。当初は1862年横浜居留区に「横浜天主堂」として建立されましたが、市街化が進み現在地に移転、その後関東大震災の後再建されたものです。(左)
聖アントニオ神学院はカトリックの神学校ですが教会もあり、寄宿舎も完備されています。1952年現在地(東京・瀬田)に創立、聖フランシスコ会の神学校です。(右)


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