セーヌの源流を求めて

古いアルバムを眺めていて発見した小さな思い出旅行です。時は1990年4月29日漸く季節も良くしかも三連休だったようです。欧州では既にバブルが頂点を超え景気の峠の見えた頃ですが、日本はむしろこれからと言う状態。日本からの来客は私達商社を相手にせず金融機関を頼りしていた頃でした。
この機会にとばかりパリを脱出、美食と美味しいワインの里ブルゴーニュを目指しました。パリの南東およそ160kmオーセールが最初の訪問地でした。セーヌ川の支流ヨンヌ川に沿って出来た街ですが古くはローマ時代からの通商交易の中継地の一つです。古い街の一角は今も歴史を匂わせる雰囲気です。その第一は幾つかある古い教会です。中でも私の趣味のステンドグラスを求めて選んだのがサンテチエンヌ聖堂でした。聖堂に入る前に入り口で見つけたのは写真の看板、これを見てビックリ!それは古くは「1429年2月27日ジャンヌダルクが神のお告げで故郷を出立、“ジアン”を目指す途中にこの聖堂に立ち寄ってお参りした。それから丁度500年、即ち1929年に記念としてこの記録を残した」ものでした。今まで夢のようなとしか感じていなかった話が突然目の前に身近な人物として甦った想いでした。何かに触れるとか実際の現場に立つことが歴史を知る上で大変貴重だと言う想いです。この聖堂は4〜5世紀頃に建立、その後15~16世紀に増改築や建て替えなどの変遷を経ています。当時の面影や如何と思われます。

翌日はいよいよセーヌの源流を求めての散策です。散策とは言え全て車です。セーヌに沿った町はセーヌの名前がついています。やっとたどり着いた源流の町はスルス・セーヌですが民家らしい家は目に入りません。地域一帯は緑一色、そして静寂そのもの。やっと源流のシンボル「セグアナの女神」を見つけました。セグアナと言うのはガリア人の女性形、古代この地域に生息した人種ですがフランス人の元祖ケルトの一派です。ドゴール大統領の名前もこのケルトからきている由でフランスではちょっとしたステイタスかも知れません。私ども以外全く人気もなく女神も寂しそうでした。早速ご近所の散策へ。車で移動、徒歩で沼地を眺めたり、この付近一帯がセーヌの源流なることを確認しました。やっと数枚の写真を手にしましたのでその一枚をご覧いただきます。
セーヌ川について付記します。全長776㎞、セーヌの本流の他にも大きい支流をもっています。これらの支流も含めてセーヌ川は縦横に運河とつながり、全国的な物流ルートとなっていました。パリはその最大の拠点だったという事です。

最後に残ったテーマが舌づつみと喉こしの話です。ブルゴーニュはボルドーと並ぶワインの産地です。同時にレストランもワインのレベルに並ぶと言われていました。中でもよく耳にしたホテル・レストラン「ラ・コート・ドール」(“La Cote d’Or”は黄金の丘と言う意味でこの地域の県名です)を予約しました。その日の特別料理として“Fete de Legumes”(野菜祭りの意味で野菜だけを使った料理)がお勧め、またソムニエのお勧めの白ワイン「シャブリ グラン クリュ」“CHABLIS Grand Cru”、いずれも最高!家内共々大満足でした。この名前のレストランは日本にも進出していてご存知の方も居られるかと思います。残念ながら当時の写真はアルバムにありません。

最終日この地域の歴史上の古都アヴァロンを訪ねました。こちらも古くは古代ローマ時代ローマ軍の前線基地としても歴史に残ります。当時の要塞(古城)は破壊され、かすかな思い出を残すのみです。ジュリアス・シーザーも何度か通過、或いは滞在したと思われます。以来混乱と再建を繰り返しながらも地理的拠点を維持したようです。街のシンボルは時計塔です。要塞が壊滅した15世紀、街の監視塔として建造されたと言います。現在は近くに高速道路が出来たこともあって聊か置き去りにされているのは時代の流れと言うほかありません。

今回は写真が出てきたこともあってフランスの観光案内にあまり出てこない案内をさせて頂いたつもりです。

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