福澤諭吉と英語(3)

前号に続いて、福澤諭吉と明治期における翻訳語について考察をしてみよう。

「社会」は明治期に作られた society の翻訳語のひとつである。明治10年代以降人口に膾炙するようになったといわれている。われわれ現代人が当たり前のように使っているこの語が日本語として定着してから100年以上が経っていることになる。

しかし、かつて society は翻訳が難しい言葉であった。なぜなら society に対応する日本語がなかったからである。とりもなおさず当時の日本には society が表すような実態が存在してなかったとの現実に立脚している。

福澤諭吉は1868年に、”Political Economy” という原著をベースにして「西洋事情 外編」を出版している。この中に、society という言葉が当然ながら出てくる。これに福澤は「人間交際」という訳を与えた。なかなか言い得て妙ではなかろうか。

しかしここで注意しなければならないのは、福澤は必ずしも society の対訳語として「人間交際」を使ったと言うことではないことだ。対訳を当てるのでなく、文脈として人間のお互いが関わり交じり、生きていく世界で我々はどうするのかという観点から、society における人間そのものを訳出しようとしたのだ。

要すれば、福澤の「人間交際」は当時、まだ制度として共通認識がなされていない「社会」が日本にもあるものと仮定して、人がその「社会」の主体であると見抜いたうえで、そこでの人の在りようを考えて翻訳したことを意味している。

ただし幸か不幸か、結局「人間交際」は society の翻訳語として定着することはなく、その後、明六社に集う福澤を含む知識人の間で変遷を経て「社会」として落ち着くことになったようだ。

だからこそ、福澤は1876年、「学問ノススメ」(17編)の中で、「世間」と「社会」とを区別すべき概念として扱って、次のように述べている(アンダーラインは筆者)。

然りといえども、およそ世の事物につきその極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、まず栄誉の性質を詳(つまび)らかにせざるべからず。その栄誉なるもの、はたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看板のごとくならば、もとよりこれを遠ざけ、これを避くべきは論を俟(ま)たずといえども、また一方より見れば社会の人事は悉皆(しっかい)虚をもって成るものにあらず。人の智徳はなお花樹のごとく、その栄誉人望はなお花のごとし。花樹を培養して花を開くに、なんぞことさらにこれを避くることをせんや。栄誉の性質を詳らかにせずして、概してこれを投棄せんとするは、花を払いて樹木の所在を隠すがごとし。これを隠してその功用を増すにあらず、あたかも活物を死用するに異ならず、世間のためを謀(はか)りて不便利の大なるものと言うべし。

これを読むと、世間と社会を対比し区別していることがよくわかる。

・「世間」は明治期以前の、古き良き日本を表す、こなれた言葉であり、それは世相を映す鏡のようなもので、日本における「社会」の前世紀的な概念だったと想像できる。

・そこに「社会」という翻訳語が現出し、それによってその言葉に当てはまる、有り得べき実体が、ひとつの抽象的で近代的な概念として希求されていったのではないだろうか。

次号では、さらに論考を詳しく進めていきたいと思う。

風戸 俊城

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