イラン追想(その4)政情不安の中トルコ出張を命ぜられる(下)

(上よりの続き)

さて次の日、テヘラン・メヘラバード空港に向かう僕の旅行鞄には、数百本の紙テープがぎっしりと、しかし破損しないように丁寧に収められていた。当時オイルマネーの還流とも言われ、中東産油国のなかでもインフラや生活物資まで膨大に輸入して国造りを急ぐイラン向けのビジネスは猖獗を極めていた。そのせいで、駐在員が法人で30名、工事事務所で10名程度、さらに現地職員を含めればその数倍ともなる大規模な陣容から、大量の通信文が作り出されていた。

テヘランからイスタンブールへは約3時間半の飛行時間だった。やがて機体は機首を下げて降下体制に入っていった。

イスタンブールの街並みが飛行機の小さな窓から見えてきた。ヨーロッパを思わせる建物の色彩と、なによりも鮮明に目に飛び込んできたのが、赤茶けた三角屋根だった。

イランの建物は総じて屋根が平坦で灰色だ。雨が乏しいからだ。潤いの少ない町並みに思えた。それに比べてイスタンブールが急に洗練された都会に思えてきた。

しかし、そんな旅人気分はすぐに吹き飛んだ。税関を無事に通ることができるか、入国でトラブルが発生しやしないか、暗い雲が胸をよぎったからである。当時は東西冷戦まっただなかだった。地政学的に東と西がぶつかるトルコでは各国のスパイが暗躍しているともいわれていた。大量の通信文を記録した紙テープが見つかれば、空港係官からなんらかの嫌疑をかけられるかも知れなかった。

税関の荷物検査を待つ間、挙動不審にみられないように努めて平静を保つようにしていた

やがて順番が来たとき、係官はパスポートを一瞥して、すぐに行けと顎で示した。あっけなく入国ができた。

イスタンブール事務所は市内の中心にあった。タクシーでオフィスに向かった。事前の電話もなく、まったくの飛び込みという態だったのだが、事務所長に面談を申し入れ、自己紹介もそこそこに手短に事情を話した。所長と代理の2名と小所帯の事務所だったが、若い所長は相好を崩し、快く依頼を受け入れてくれた。

「ご苦労さんやったな。これぞ、商社の出番ってところだ。わくわくするね。」

こう言ってから、秘書や通信担当の職員を呼び、大量のテープを渡し、すぐに発信機にテープを通して電文を発信するように命じた。

それから、数時間をかけて、テヘランから運ばれたテレックスの電文は、日本へ、世界の国へ発信されていったのだった。(終わり)

 

風戸 俊城

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