インドネシア回想記(3)

国有鐡道とのビジネス
PNKA というのが、国有鉄道の略称で、PNは国営企業、Kはクレタで車、Aはアピで「火」を意味し「火の車」というのが「鐡道」の事で、実際にその財政状態を、皮肉にも表している。殆ど毎朝、ここに出かける。

軌条(レール)や橋梁関係は施設部、車両関係は技術部、等に分かれ、前任者から、夫々の責任者との顔継ぎを受けていたが、人間関係と言うものは個人的に濃淡が出るのは、やむないことである。

一番お世話になったS技術部長とは、ご自宅にたびたびお邪魔して、奥様、10代のお嬢さん、小学生の坊や、とも親しくしていただいた。美人のお嬢さんの結婚式や、坊やの回教上の儀式に招かれ、その坊やを連れて、Sさんもしばしば、我が家(兼事務所)に来てくれた。

商売で一番印象に残っているのは「日本のリクライニング・シート」を買いたい、との話で、1970年代の初めの、東北本線・青森行特急「はつかり」のシートと同じものを納入した。座席だけの取引、として珍しがられた。車両そのものも、豪州政府援助での「ディーゼル・カー」や石油輸送洋のタンク車などが契約できた。

どんな場合でも、「財源は何か」というのが、最初に確認すべきことで、前任者が実現した「日本の戦時賠償資金」によるレール大口商談」も、戦時中、占領していた日本が、「タイメン鉄道」の為、ジャワ島からレールを外して持って行った、ということへの償いなのであった。

鉄橋の取り換え用資材一式も納入したが、下を流れるのは、有名な「ブンガワンソロ」(ソロ川)で、日本でも歌で有名である。

三浦二雄

(以下次号)

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です