漆との出会い、これは私のオランダ生活の中で、また私の人生の中でも最も大きな出会いの一つでした。もちろん、子どもの頃から生活の中で漆器に触れる機会は多少なりともありましたが、それは年数回あるかなしかでした。その漆器は正月に使う重箱とか椀・盃の類で、日常使う椀や箸などは一見漆塗りのように見えても実際には漆塗りではなかったように思います。そのような日常生活ですから、40歳を過ぎてまさか自分が漆を使って器物を作る、そして自分でそれを日常に使うことなど想像することも出来ませんでした。しかし、それが日本国内ではなくオランダという外国に来て現実のものとなったのです。これまでこのことを友人たちに話すと、皆一様に「なぜオランダで漆なの?」と怪訝な顔をされました。今後も、多分そうでしょう。

しかし、そのきっかけは実にくだらないところに転がっていたのです。それは、当時使っていた餞別にと頂いた本物の漆塗りの箸の先をふとした拍子に噛んで少しですが折ってしまったのです。しまったと思ったが、後の祭り、しばらくの間は別の安物の箸を使っていましたが、どうもしっくりこず、かと言ってオランダですからすぐに代わりが手に入る訳もなし。そして、それから何か月かの後のこと、たまたま見ていた地域の日本人コミュニティー誌に、「漆塗り教えます。」という小さい広告が出ていたのを発見したのです。深く考えるより先に、「これだ。」と、躊躇わずすぐに申し込み、習い始めることにしました。そして、まず折れた箸の修理をしたいと先生に申し出ました。しかし、今まで漆そのものを見たことも触ったこともない素人ですから、そんなに簡単ではありません。我が家からは車で3-40分ほどかかるハウダ(Gouda)に近いところまで殆ど毎週土曜日、嵐の日もせっせと通い、基礎的な事を教わりつつ、念願の箸の修理もそのうちにできました。ほんとうに初歩の初歩から教わり、約1年半ののち私のオランダ勤務が終わり帰国する頃までには、何とか漆を自分で扱えるくらいまで仕込んで頂きました。先生は、オランダに移住された日本女性で、西出毬子さんという方です。その後も、先生には折に触れアドバイスをもらっていました。

ということで、もう20年以上漆との生活をしていることになります。その間、作ったものは箸・匙・大小さまざまな皿・椀などのシンプルな日常使いの雑器類が主ですが、知り合いに差し上げたりして大いに喜ばれています。私の作品は頑丈が売りですが、もし傷とか壊れるようなことがあった場合には、私が生きている間は無償で直しますという保証付き。ですが、幸いなことに差し上げた方々からは未だに直しを頼まれたことはありません。壊れていても面倒だから、または遠慮されて直しを頼まれないのかもしれませんが。もともとはこうした日用雑器を作ることに興味があったのですが、ここ10年くらい前からは、蒔絵・螺鈿などの加飾技法も加えたものも始め、また蒔絵による絵画作品も手掛けるようになっています。

オランダでの短い間に、幸運にも東京芸術大学で最近まで漆芸の教授をされていた三田村先生とその御子息ともお知り合いになり、さらに帰国後は同教室の面々とも知り合うことができ、私の漆の世界が一挙に広がることになりました。左の写真は、オランダ時代に三田村先生から頂いた色紙で、「漆三昧」と書かれています。そんなご縁から、毎年東京芸術大学の公開講座で漆の講座があるときは必ず受講するようになりました。そして、そこでも新しい同好の知り合いができ、漆を通した世界がさらに広がってきました。オランダでは土曜日は朝から夕方まで漆塗りの作業をして、それから飲み始め漆談議に花を咲かせながら皆深夜まで、そしてベロンベロンになるまで飲んだことも度々で、今も懐かしく思い出します。

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