荻悦子詩集「時の娘」より「果樹」

果樹

フェイジョアという果樹が初めて花をつけた朝は雨だった 母
は薄紙で包んだ一枝を私のランドセルの脇に差した
白い花びらに紅いしべ 小さいが肉厚な感じの見慣れない花の
枝は 教室の花瓶の花に混じっても人目を惹いた 担任の先生が
またという顔付で私の方を見る 私は母の染めた牡丹色のワン
ピースに時に白い替え衿をかけて 「原産地は南米です」 母
の教えたとおりをすまして答えた

雌株と雄㈱ 二本植えたフェイジョアは結実しなかった 崩れ
かけた石垣越しに フェイジョアと向き合い やはり二本ポポ
ーという樹もあった フェイジョアと同じ日に植えたのだった
が フェイジョアよりもずっと伸びた
苗木のカタログ写真で見ると ポポーはあけびの実に似た形の
実をつけるらしかった 赤ん坊の掌ほどの碧い房が突如出現し
てはいまいか 私はしょっちゅうポポーの枝葉を覗きに行った
梅雨が明け夏が来ても 細い幹の上方にまばらについた長円形
の葉の間には 蕾の気配もないのだった

いつかは実るだろうフェイジョアとポポー 夏毎 私たち母子
はそれらの果実の形状や味について 童話のなかの架空の木の
実を説明するように くり返しくり返し語り合った
いつまでも「お話し」のままだった二種の果樹 ついには私た
ち姉弟の幼年そのものの残像として 崩れかけた石垣をはさん
で 二十数年 向かい合っていた
車寄せの拡張のため この夏 まもなく切り倒されるという
フェイジョア ポポ-

荻悦子(おぎ・えつこ)
1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

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