ロックフェラーの素顔(11)

7.ロックフェラーの晩年

(1)妻の死

アイダ・ターベルの記事が連載されると、JDRの妻セティは信仰の世界に閉じこもるようになっていった。そして、鋭敏で有能な女性から、本物の病人に変貌していった。連載が佳境に入った1904年4月、セティは突然発作に見舞われた(おそらく軽度の脳卒中)。1909年の終わりには車椅子の生活に。彼女は、肺炎、帯状疱疹、悪性貧血、坐骨神経痛など多くの病気を患っていた。JDRは妻に細かい気配りをする一方で、季節ごとに家を移り住む習慣は変えなかった。1915年3月、セティはカイカットの寝室で息をひきとった。フロリダ州オーモンドビーチの別荘でその知らせを受けたJDRは、人目もはばからずに泣いた。それは、彼のこれまでの人生で一度も見せたことのない姿であった。

 

(2)重圧からの解放

JDRは1890年代初頭、神経衰弱に陥り、全身の毛が抜け落ちる病気に悩んだ。しかし、資産をジュニアに移し、肩の荷をおろした後は体重も増え、びっくりするほど元気になった。もっとも、彼の規則正しい生活に乱れがあることはなかった。彼は100歳まで生きることを目標にし、自分の行動を入念に設計していた。JDRの日課の主なものを書き出してみよう。

6:00        起床

9:15-12:00  ゴルフ

15:15-17:15 ドライブ

21:00-22:00 音楽鑑賞や来客との会話

22:30              就寝

ゴルフにかけるJDRの情熱は並はずれたものがあった。彼は、自分のプレーを映画に取らせて、改善点を研究した。カイカットの邸宅の広大な敷地には、ゴルフコースが造られた。さらに、より長期間プレーできるように、ニュージャージー州レイクウッドにも、ゴルフ場を造った。ゴルフのお陰で、彼は社交的になった。コースに出るとすぐにおどけてみせて和やかな雰囲気をつくり、歌を口ずさんだり、ジョークを披露したり、自作の詩を読みあげることもあった。また、ドライブにも熱心であった。午後のドライブには、後部座席で二人のご婦人に挟まれて座っていた。ドライブの間、彼は両手を知らず知らずのうちに動かしていることが多かった。

JDRは、98歳を目前にしてこの世を去った。正式な死因は硬化性心筋炎であるが、事実上老衰と言ったほうが正しい。その静かな最期は、彼に敵意を抱いていた者たちをがっかりさせた。JDRの肉体は滅びたが、彼の築いた事業はその後も発展している。スタンダード・オイルは、現在スーパー・メジャーと言われる世界5大石油会社のうち、エクソンモービル、シェブロンとして、全世界で事業を行っている。また、慈善事業であるシカゴ大学、ロックフェラー医学研究所(現ロックフェラー大学)、ロックフェラー財団も活発な活動を継続している。ジュニアの始めた事業も健在だ。ロックフェラーの遺志は、今でも生きている。

齋藤英雄


ロックフェラーの素顔(11)” に対して4件のコメントがあります。

  1. t_nishi より:

    今まで、ロックフェラーという名前を聞くと、現代のIT長者は別にして、過去世界で最も成功した人物ということくらいしか知りませんでした。今回のシリーズでは、人間的な部分にも触れることができ大変興味深く読ませていただきました。

    1. 齋藤英雄 より:

      お読みいただきありがとうござました。筆者の意図をくみ取っていただき、感謝します。

  2. りょうへいばーば より:

    ロックフェラーといえば、アメリカで巨万の富を築いた人というぐらいしか認識していませんでした。
    影の部分も言われることもありますよね。
    ビジネスでの成功とロックフェラー個人の人徳や生き方、そして苦悩が、斎藤さんのわかりやすいエッセイでよく理解できました。野口英世との深い結びつきは驚きました。
    夫の関係でpenn.state に滞在しておりましたので、keystone country も懐かしく、ロックフェラーセンター前のクリスマスツリーもこれからロックフェラーの生涯を思い浮かべてみるとちがってみえることでしょう。

    1. h_saito より:

      お読みくださりありがとうございます。野口英世もロックフェラーも、書き手によって大きく評価が変わる人物です。過去の伝記を読むだけではどちらの評価が正しいか判断は難しく、現地調査が重要と思いました。

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