ここでは、過去に掲載された記事や作品を週替わりで紹介しています。↡

緑の環境委員会24 (終)

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親子みち草散歩図鑑24

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これは何の花でしょう?3

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」73

「愚者の死」の製作 (続) 愚者の死」が、この年「スバル」の3月号に発表されたとき、いま一般に普及しているような、「うべさかしかる商人の町は歎かん」と「ー町人は慎めよ」との間の行空(ぎょうあ)きはありません。ひとつの纏( […]

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山ちゃんの気まま旅
山ちゃんの気まま旅55~奈良公園の昼下がり

このところの気温上昇、昨日は汗ばむ位の陽気に・・・ 奈良公園でくつろいでいる、この2頭はどういう関係なのでしょうか? 何とも言えない、リラックスしたこの表情、春ですねえ。 山仲春男

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」72

「愚者の死」の製作  「千九百十一年一月二十三日/大石誠之助は殺されたり」で、「愚者の死」は始まる。 雑誌「スバル」の、1911年(明治44)3月号に発表されたこの詩は、一般に思想的な意味合いを帯びたものとして、「傾向詩 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」71

神田須田町の停車場 東京神田須田町の電車停留所の人ごみのなかで、3人の青年が電車待ちをしていました。3人とも、1910年(明治43)3月新宮中学を卒業した同級生で、上京10ケ月足らず、多少酒が回った様子でした。ひとりは、 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」70

「反骨」から「日本人ならざる者」の自覚へ 春夫が新宮中学を卒業して、7月の第1高等学校受験を目指し、受験に挑んだが挫折、与謝野寛らの勧めもあって、親交を深めつつあった堀口大学とともに、永井荷風を慕って改めて慶応義塾予科に […]

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山ちゃんの気まま旅
山ちゃんの気まま旅54~伊吹山「セツブンソウ」自生地を散策

滋賀県米原市の伊吹山・山麓の深部大久保地区にて、「セツブンソウ」自生地を散策してきました。キンポウゲ科のこの植物は日本原産、別称「春を告げる花」「春のプリンセス」と言われています。 日陰に残雪が残る奥深い山地の雑木林で可 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」69

春夫の上京(2) 春夫が言う国漢の2先生とは、小野芳彦と小田穣(みのる)とです。ふたりとも父豊太郎の知己。小田は千畝と号する新宮俳句界の草分け的存在で、漢詩も物して、新宮8景の漢詩を残しています。ちなみに8景を記せば、「 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」68

春夫の上京(1) こうして春夫の中学時代は終わり、明治43年3月31日新宮を出立して上京の途につきます。当日、春夫が挨拶に小野芳彦を訪れたことが、その日記から窺えます。「春夫君告別に来る。第一高文科志望の由」とあります。 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」67

ストライキ事件の余波と「大逆事件」前夜 明治43年の年が明け、春夫が卒業までの数日をどのように過ごしたのかははっきりとは分かりません。ただ、「会誌」7号(明治44年3月)の巻頭に載っている卒業記念写真には写っています。そ […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」66

「若き鷲の子」の詩の解釈と「危機」からの脱出 中学卒業直前の春夫の動向に戻ります。春夫は書いています。―「中学五年の時に、与謝野寛氏と、生田長江氏と、石井柏亭氏との三人が、東京から私の故郷の紀州新宮の町に来て、町の劇場で […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」65

生田春月との関係(二) 春月は、大正3年以来、亡くなる昭和5年までの足かけ16年間を、弁天町・天神町など東京の牛込の地で過ごしました。詩作のかたわら独逸語専修学校の夜学でドイツ語を学んだ春月は、ハイネなどドイツ文学を紹介 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」64

生田春月との関係 (一) 先に紹介した、罫紙12枚に記された、仮称「生田長江 紀州旅行日記」と言われるものは、長江が京都から東京に帰る東海道線の車中で、鳥取の淀江で篭居している春月の下へ激励の書簡と共に、届けられたもので […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」63

春夫不在の新宮中学ストライキ 2教諭が生徒の同盟休校を煽動したという廉(かど)で実質退任に追い込まれていますが、表立った動きは何もないようですから、体よく馘首の憂き目にあったと解すべきでしょう。物理学担当の原田岩平と修身 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」62

新宮中学ストライキへの展開とその余波 佐藤春夫の無期停学への風当たりは、大石誠之助らを中心に新宮中学への教育批判から、寺内校長個人への批判へと波紋を広げてゆきました。なかでも、田辺の「牟婁新報」が報じた「新宮中学の怪聞」 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」61

与謝野寛の作品掲載(二) 寛にとっては、明治43年3月に、初めての単独の歌集と言える『相聞(あいぎこえ)』という歌集が刊行されるのですが、研究家の逸見久美(いつみくみ)が『評伝与謝野鉄幹晶子』という大著のなかで、「寛の憔 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」60

与謝野寛の作品掲載(一) 春夫が停学中、いくつかの作品を無著名で「熊野実業新聞」に投稿、掲載されていたであろうことを述べてきましたが、この頃、同紙に盛んに作品を発表しているのは、夏に再来遊した鉄幹・与謝野寛です。そうして […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」59

春夫の試作、戯曲「寝ざめ」 「脚本・現代劇・「寝ざめ」試作」は、10月20日付・22日付・24日付の3回連載です。「現代劇・試作」がタイトルに付されています。 設定は、「明治四十某年九月初旬」、場所、背景は「東京付近の海 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」58

熊野実業新聞への投稿 「熊野実業新聞」は、明治33年3月、社主津田長四郎、主筆浅田江村で発行されました。それより先、明治29年12月に社主宮本守中、主筆山田菊園で「熊野新報」が発刊されていて、新宮町内の政治的立場を二分し […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」57

春夫への無期停学処分 この年(明治43年)8月20日から、新宮中学では東牟婁郡内の夏期講習会が開かれていて、小学教員50名余が参加、その多くが21日夜の寛らの学術講演会にも顔を見せていました。ちょうどその頃、内務省の地方 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」56

春夫、生田長江に同行(二) 講師一行は8月26日新宮町を出発しますが、長江日記によれば、「朝の七時半に新宮を立つ。佐藤春夫君十八歳京都まで同行せんとす。那智まで四里。第一の滝は濫りに入るを禁じられたるところへ佐藤君と共に […]

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