土谷重美

土谷重美
漫画を描くためのヒント

① まず、写真を何枚か撮ります。写真を向けると皆構えてしまって添付の様なポーズになるので、できるだけ自然なショットを得るために、カメラを構えずに隠し撮り風にシャッターを押します。当然、顔半分しか映っていないものもあります […]

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土谷重美
人物画を描くためのヒント

人物画を描く為のヒント 1.画題としての人物 かつて作家の藤本義一さんは「男の顔は領収証」と言いましたが、特に中高年の顔にはその人の生き様が滲み出ていてこれを描くという事は単に象形を写し取る以上の面白さがあり、描きながら […]

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中国
中国の印象(3)福建省2019

7. 社会 今、中国の景気は落ちているが、「米国との貿易戦争も間も無く解消」とこの先も楽観を決め込んでいる。この数年で大衆の生活水準は大幅に向上しており、人権が無いとしても皆満足し切っている。街でも「共産党が無ければ今の […]

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中国
中国の印象(2)福建省2019

4. 微信決済 スマホ決済になっていることは昨年報告したが、今年は現金で買おうとしても「釣銭用の小銭が無いから」と言う理由で売ってもらえない店が何軒かあった。一昨年はまだ現金の方が多かった筈。市中の店ではVIZAカードも […]

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中国
中国の印象(1) 福建省2019

今回の旅は、台湾の西対岸に位置する福建省。この季節、中国北部では雪が降っているというのに気温は21℃、ずっと好天に恵まれたが、この半年雨が降ってないとのこと。中国沿岸部は今や台湾、日本と同じ風景で全く面白みが無くなった。 […]

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私の履歴書⑧「醜いアヒルの子」~オチコボレの新入生に贈る~2

大学へ人って、いきなりアイスホッケー部に強姦されてからの恐怖の日々は、ボクの精神生活を根底からかき乱した。生まれて初めて母親のオッパイを離れたショックも大きかったのだろうし、あるいは慣れぬ自炊生活にも原因があったかも知れ […]

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私の履歴書⑦「醜いアヒルの子」~オチコボレの新入生に贈る(1)

心理学的に言えば、学生時代と言うのは、ゲマインシャフトな家族社会から、ゲゼルシャフトな大人社会に適合するためのモラトリアム期間であると言う。奈良県吉野郡西吉野村大字宗川野という、文字通り人跡未踏の村落共同体に育ったボクに […]

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私の履歴書⑥~土谷重美(付録~絵画について)

6.絵画について 祖父が役場に勤めていたこともあって、よく廃紙を持って帰ってくれた。今なら許されないことだろうが、当時白紙と言えば新聞紙の広告の片隅くらい。きれいなA4の裏に絵を描けるのは最高の贅沢だった。漫画の本を見な […]

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私の履歴書~土谷重美⑤退職以降

5.退職以降 バブルが崩壊して、続く失われた10年の間に価値観が一変、当時流行したリストラの波に乗って私は会社を辞めた。その3年前に水処理部門に移動、ここはリストラの対象ではなかったが、昔一緒にやっていた設備関係の連中が […]

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私の履歴書~土谷重美④会社時代

4.会社生活 椿本チエインは、代理店販売を採っているので客とのやり取りやネゴ交渉、嫌な納期遅延折衝は代理店がやってくれる。若い頃新規開拓した大手会社と代理店問題でもめて直売することになり、これがその後の営業をやる上で多い […]

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私の履歴書~土谷重美③入社・結婚

3.入社・結婚 就職試験の頃は、高度成長の名残でまだ売り手市場であった。経済学部の仲間は皆、銀行とか大手商社、生命保険などの一流会社を狙ったが、私は祖母の戦時下の物資不足の話を聞かされていたこともあり、メーカーを志望した […]

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私の履歴書~土谷重美②大学時代

2.大学時代 私が村の呪縛から解放されたのは、大学に入ったお陰であった。五條高校から現役で府立大学に入ったのは私だけ。クラスの者も下宿の者も誰も私の過去を知らない。私の最初の行動が彼等の目に映る私だった。私はグループによ […]

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私の履歴書~土谷重美①村の時代

1.村の時代 私は、奈良県吉野郡西吉野村大字宗川野に農家の長男として生まれた。昔は秘境と呼ばれた十津川村の入口に当たる。人間より猿の方が多いと言われる過疎の村の生活は、縄文の昔から平安を経て江戸、明治まで殆ど変わることな […]

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