続おぼろげ記憶帖 (12) フランスでの子育て
1960年代、子供を連れて公園に行くと絵はがきのような風景の中でノンビリとベンチに腰掛けて日向ぼっこをしているおばあさんに出会います。そしてたいてい“どこから来たの?何歳?”と聞かれました。シノア(中国)? べトナミアン […]
続おぼろげ記憶帖 (11) 未熟なフランス語
日本語は情景・様子・風景などを説明してその後に主語と述語が来ます。フランス語では主語・述語の順、何がどうした!という事が判れば後はとても分かりやすいのです。例えば日本語では“美しい景色を私は見ました” フランス語では”私 […]
続おぼろげ記憶帖 (10) Café (カフェ・喫茶店)
街の辻々、5分も歩けばまたカフェ、それほどあちこちにあります。中はカウンターと座席。外には丸いテーブルと座席がビニールの籐編みで重ねて片付けられる椅子がひしめくように置かれています。大抵はおなじみ客が多く、出勤前にun […]
続おぼろげ記憶帖 (9) 夜のレストラン
3ツ星ではないけれど素敵なレストランを予約したということにします。予約なしに訪れることはありません。大抵は2人または4人。偶数のテーブルの方が料理人も手順よく都合が良いようです。ミシュランの星付きのレストランでは夜8時で […]
続おぼろげ記憶帖 (8) フランスの食事
前夜しっかりとフルコースの食事を済ませた人は朝でも満腹。何時の頃までかクロアッサンとカフェオレをメイドがベッドまで運んでくると聞いていました。これは上流社会のことでしょう。普通は焼き立てのバゲットを朝買いに行くのです。料 […]
続おぼろげ記憶帖 (7) 自己主張
ドゴール大統領の時代ですから今から55年位前の話。私は26・7歳で男児の母親でした。第二次世界大戦の戦没者のモニュメントがパリの西、広大なブローニュの森を越えてセーヌ川を渡った丘の上にありました。ある日“ドゴールが来る” […]
続おぼろげ記憶帖 (6) 簡単な挨拶
こんにちは・こんばんは・すみません・ありがとうなどとフランス人は出会った人たちと簡単な軽い挨拶をよく交わします。それも少し微笑んで! 礼儀正しいと言われている日本人は最近ご近所でもかかわりのない人は挨拶をしません。頭を下 […]
続おぼろげ記憶帖 (5) 180度真反対の日本とフランス vol.4
姓名 日本では姓・名の順。フランスでは名・姓の順。日本では姓は親族、地域による珍しい名前を除いて比較的聞き取りやすく判りやすい名字が多いです。鈴木さん・佐藤さん・斎藤さん・吉田さんなど全国的に分布していて○○会などと数を […]
続おぼろげ記憶帖 (4) 180度真反対の日本とフランス vol.3
お金(おつり)の数え方 日本で買い物をしておつりを受け取る時、例えば商品代1250円の支払いに千円札2枚を出したとします。一発でおつり750円を頂きます。フランスでは商品代とおつりの合計が2000円になるように計算します […]
続おぼろげ記憶帖 (3) 180度真反対の日本とフランス vol.2
車の運転 日本は島国です。どこに行っても右ハンドル。ヨーロッパは左ハンドル。陸続きでECになってからは国境の緩和地帯の両側に設けられていた税関の小さな建物も遮断機も無くなりました。いつ国境線を越えたのやら!以前はパスポー […]
続おぼろげ記憶帖 (2) 180度真反対の日本とフランス vol.1
時差 日本の8時間遅れて昼と夜が逆になります。パソコンやスマホのある現代とは事情が異なり当時は大変な不便がありました。 天気 内陸性の気候で緯度は樺太と同じで本来は日本よりは寒いのです。でも湿度が低いために雪の降るのは珍 […]
続おぼろげ記憶帖 (1) 昭和と平成のパリ生活
一度目の渡仏は、1963年(昭38)4月に結婚し、夫は結婚一年を待たずして翌年1964年3月東京オリンピックが開催され、新幹線が開通した記念すべき年でしたがそれらを見ずに単身パリに赴任しました。2週間後に長男が誕生(19 […]
山ちゃんの気まま旅65~京都の紅葉散策
毎年出掛けている京都の紅葉散策、今年も一度は足を運びたいと思いつつ、嵐山周辺の嵯峨野や名所は、大勢の観光客が押し寄せて、ラッシュアワー時の駅の様に大混雑で身動き付かない状況との報道で、出掛けるのを躊躇っていました。 そこ […]
山ちゃんの気まま旅64~比叡山・延暦寺散策
小学校の修学旅行で、一度行ったとの記憶が有るものの、それ以降は訪問の機会がありませんでした。 快晴の行楽日和となり、紅葉見物を兼ね比叡山を散策して来ました。 今回訪問する迄、比叡山には「延暦寺」という名の中核となるお寺 […]
山ちゃんの気まま旅63~万博公園・花の丘
綺麗な青空が拡がっているので、思い立って昼食後に自宅から徒歩で行ける、万博公園の花の丘を散歩してきました。 少し汗ばむ程度の陽気で吹く風は心地よく、最高の散歩になりました。平日なのに花が見頃を迎えている為か、予想外の人出 […]
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」77
おわりに(3) 春夫の「反骨」を培った土壌と共に、父と母とによって育まれた「人格」も無視できません。生田長江の回想と共に、与謝野晶子も家庭教育の影響に触れています。 春夫自身の父や母に対する恩恵は、以下の言葉に尽きていま […]
山ちゃんの気まま旅62~若狭路散策と箱館山山頂
10月18日、晴天好日、若狭・三方五湖迄ドライブを楽しみました、最初の写真は三方五湖を見下ろす梅丈岳山頂までのリフト、乗車場に黄土色の物体、それが写真2枚目にある、若狭の民話ー大名タヌキ像です。 帰路は琵琶湖西岸の箱館山 […]
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」76
おわりに(2) 大正3年12月、春夫はまだ無名の女優川路歌子(遠藤幸子(ゆきこ)・明治29年9月生)と同棲し、本郷区追分町9に新居を構えます。友人の武林無想庵が、春夫らをモデルに「新しい男女」を「読売新聞」に発表するのは […]
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」75
おわりに(1) 春夫の上京までを目途に、その「反骨精神」の誕生の由来、醸成の土壌のようなものを探ってみようと出発したのでしたが、上京後もなかなか筆を納めきれなかったのは、上京して真直ぐに「文学」の道に邁進し、「大成」への […]
館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」74
番外編・春夫の反骨精神の行方 2010年10月11日付の朝日新聞の投書『声』欄に次のような文章が載りました。「浅沼殺害 絶句した佐藤春夫」の見出しです。全文を引いてみます。 「1960年10月12日、私は東京の佐藤春夫邸 […]